骨折とメモリー
本当に一瞬の事だった。
「あっ」と云う自分の声が他人事のように聞こえたかと思うと、ぐるりと世界が回転し、次の瞬間には地面にペタリと座り込んでいたのだった。通りがかりの男性が「大丈夫ですか?」と投げ出されたバッグを拾って渡してくれる。はい、ありがとうございますと答えながら、これは大丈夫ではないかもしれないよ、ともう一人の自分の、嫌に冷めた声を聞く。
よりによって、なのか、幸運にも、なのか、通院を終えて病院を出て1分も経たないところで、ほんの少しの段差を踏み外したのだ。朝一番からの診察が予定より巻いて終わったので、真っ直ぐ出社するか…いや早めのランチを済ませてしまおうかとぼんやり考えながら歩いていて、足元への注意が散漫になっていた。
とりあえずオフィスの近くまで行ってから整形外科に行こうかと考えたが、みるみるうちに足首がテニスボールのように腫れてきて、とても電車に乗れるとは思えない。回れ右して、先ほどまで居た総合病院に戻ることにした。
そこからは、あれよあれよと云う間に車椅子に乗せられて院内をあちらこちら運ばれ、結果、「骨折ですね」と妙に明るい声で宣告を受け、足先から膝下までぐるぐると固定されてしまった。
骨折?私が?運動神経は皆無だけど骨だけは丈夫だと思っていたのに!
パニック状態の私を置き去りに、はい、じゃあリハビリ室で松葉杖借りたら帰っていいですよ、家の近所の整形外科を教えてね、紹介状書くから、と明るい声で先生は話し続ける。
この人生初骨折の第一日目を振り返って思うことは、どうやらパニック時における私の特性は「案外、やるべき事の判断は出来る」「そのかわり、数字に関する記憶がバカになる」の二点らしい、と云うことだ。
病院内を運ばれながら、仕事関係や家族への連絡や骨折時の生活に必要になりそうな備品のオーダーは済ませたし、本当はランチを食べながら準備するはずだった打合せ事前メモもiPhoneで作った。
が、数字は本当に吹っ飛んでしまったのだった。病院の書類を記入する時に今日の日付がまったく分からない。電話番号もパッと出てこない。
タクシーで帰宅したは良いが松葉杖でバッグが持てず、運転手さんが呼んでくれたマンションの警備員さんに部屋まで付き添ってもらったのだが、何号室ですか?と訊かれた時に出鱈目な数字が口から出て、自分で自分にびっくりする。
これは脳の働きとして何か理由があるのだろうか。調べてみよう、と思いながらまだ調べていない。
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