掌に幸運を。
占いの類いとは、付かず離れずの人生だ。
まったく信じないかと言えば嘘になるし、全面的に信じると言っても嘘になる。まあ、おそらくはそんな人が日本人の大半を占めるであろうから、ごく一般的なスタンスと言って良いのだろう。
数年前、世界的なパンデミックが始まった頃のことである。インドの占い師にオンラインで運勢を見てもらった。と言っても、オンラインコンテンツがビジネスになるのか?と云う検討のために、とりあえず自分でもいろいろ体験してみようとしていた時、ふと目に留まったというだけの理由で申し込んだのだった。
私はまったく存じ上げなかったが、占い好きにはそれなりに知られた人だという。指示に従い、生年月日と出生地、そして掌の写真を事前にメールで送った。当日の会話は通訳を挟んで行う。通訳は可愛い日本語を操るインドのおじちゃんだった。
おじちゃんを介してラッキーカラーやらラッキーストーンなとがペラペラと語られ、占い付かず離れず派の私はふんふんと話半分で聞いていた。
「仕事運は再来年からの3年間が良い」ふんふん。「健康面ではこことここが弱いですね」ふんふん。いや、心当たりないけどな。
「開運のためにはエメラルドのアクセサリーを着けると良いです。着け始めるのは水曜日にね。そして、一度着けたら決して外してはいけません。そうです、寝る時もお風呂に入る時も、何があっても外してはいけないのです。それが出来ないなら、最初から着けないほうがいい」え、怖いな。それはもう、着けないの一択だなあ。
それから一年近く経ってのこと。人間ドックで要再検査の知らせを二通貰った。ふと思い出せば、それはインドの占い師の指摘通りの箇所なのだった。えー。
では、仕事運についてはどうか。今日現在は、良い時期と予言された期間の三分の二を過ぎたところである。
変化、と云うことではそこそこ大きな変化があった。たくさんの人からおめでとう、すごいですねと声を掛けていただくような変化だ。正直なところ、直前まで全く予想していなかった変化でもある。そういう意味では占い的中である。
だが、実情と云うか、実感としては真逆なのだ。自分の何かが評価されたわけではないことは、自分が一番よく知っている。責任と心労は爆増、あちらとこちらの板挟み。小さなことでも誰かの幸せになるならば…と云う思いで仕事を続けてきたはずなのに、誰のことも幸せに出来ていないのではないかという無力感。長い会社員人生で、初めて早期退職制度規定を熟読した。心の支えは宝くじである。当たったら即隠居生活に入るのだ!
総合的に考えて、あの占いは当たったのか否か。
健康面を当てられたのは驚いたが、もしかしたら掌の様子から読み解いたのかもしれないし、偶然が重なっただけかもしれない。
仕事についてはどうなのだろう。占い師は何らかの変化が訪れる時期を読んだ。その変化を良いものとするか否かは、私次第だったということなのだろうか。
そう、そういうことにしておきたい。だって、そうでなければ一年後にこの期間が終わったあとが怖いではないか。今より悪くなるなんて救いがない。出来ることなら残りの会社人生は目立たず穏やかに、良くもないが悪くもない日々を、お給料あがらなくてもいいから、そんな日々を送りたいのだ。
こうなったら、エメラルドを肌身離さず身につけるべきなのかもしれない。さすれば宝くじが当たり、穏やかな未来が私のものになるに違いない。