Time Will Tellに関するあれこれ
Rasta Man Chantに続くナイヤビンギのリズムに乗せたナンバーです。
キングストンのボブの自宅で起きた銃撃事件直後、避難先の隣国バハマ滞在中に作られた曲のひとつだと言われています。
「時」とは
この曲のカギとなっているのは「時」です。
それは過去から現在を通過して未来へと「水平に流れる時間」ではなく、天から地上に「降りてくる神が定めた時」です。
ギリシャ語でカイロス(Kairos)と言います。
「その時、歴史は動いた」というような決定的な時のことです。
毎日欠かさず一章ずつ聖書を読んでいたボブは聖句にインスパイアされて数多くの歌詞を書きました。
この曲も例外ではありません。
「すべての事には定められた時がある」という教えは旧約聖書の次の箇所に記されています。
時が次々と
「時」はボブにもやってきました。
まずは1978年4月です。
ワンラブピースコンサート出演と共にジャマイカに帰国しています。
次は2か月後です。
NYの国連総会で第三世界平和勲章(Peace Medal of the Third World)を受け取っています。
3番目は同じ年の年末です。
初めてアフリカに旅しています。
理由は不明ですが、ジャマイカでビザが降りず、第三国ケニアに飛んでそこでビザを取得してからエチオピアに入国したそうです。
この旅で大いに視野と見聞を広めたボブは新たな認識や関心に基づいて傑作アルバムSurvivalの制作にとりかかります。
ボブのエチオピア旅行については機会を改めて書こうと思います。
今回書いておかないといけないのは別のことです。
失われた歌詞
実はこの曲には「失われた歌詞(lost lyrics)」と呼ばれている箇所があります。
ここ↓です。
この部分はなぜかアルバム発表時にIsland Recordsが提供した公式歌詞から除外されていました。
そのためウエブ上の歌詞サイトでも「聴き取った人間の聴き取り方の違い」による様々な非公式バージョンが存在しています。
それらすべてをチェックして録音を何度も聴き返しながら比較検討してみましたが、どれも歌詞の内容やボブが発した音声と合っていませんでした。
そこでボブが伝えようとしていたと思われる内容を念頭に何回も繰り返し曲を聴き直して、書き取ったのが上記英語歌詞です。
そうやって書き取った英語に基づいて基づいて次のように訳しました。
もうボブはこの世にはいません。だからこれで正しいのか確認する術はありません。
でも歌われた言葉がそこにある限り、訳者として「訳さず放置する」訳にはいきません。
上記「失われた」パートは訳者<ないんまいる>の現時点での最善の努力の結果です。以上、大事なポイントなのできちんとお知らせしておきたいと思います。
いちじく桑の木
ちなみにこのパートにはもうひとつ大事なキーワードが登場します。
Sycamore treeです。
日本では一般的にエジプトイチジクと称されている樹木です。
東アフリカ原産で太古の時代にエジプトやパレスチナに移植され増えていった木です。
英語版聖書にはsycomoreというスペルで登場します。日本語版聖書新共同訳では「いちじく桑の木」と訳されています。
この曲の先行和訳では「いちじくの木」と訳されていますが、明らかに誤訳です。
いちじく(fig)とはまったく別の種類の木だからです。
新約聖書ルカによる福音書19章では、徴税人ザアカイが「救世主」イエスの姿を一目見るためにいちじく桑の木に登っています。
象徴的意味
そんなエピソードからいちじく桑の木はイエス・キリストによる救いと贖いの象徴とされています。
「俺も自由と自尊心を奪われたアフリカ系のひとりだ。でも俺は救いの木を見た。そこには自由があった。もう恨みは晴らされたんだ」
ボブはそう伝えたかったんだと感じます。
すごく観念的な歌詞です。いつどこでいちじく桑の木を見たのかはまったく語られていません。
おそらく「見た」こと自体が大事なんでしょう。希望の象徴を「目撃して」そして「救われた」と伝えたかったんだと思います。
まったく情報がないので単なる個人的な推測ですが、襲撃事件直後、ボブは夢の中でいちじく桑の木を見たのかもしれません。
Get Up, Stand Upで歌っている通り(Half the story has never been told)、自分の身に起きたことの半分ぐらいしか語らないままボブはこの世界から去っていったような気がします。
以上、今回のあれこれは天から次々とボブの上に降ってきたタイミング、失われた歌詞、いちじく桑の木に関してでした。それじゃまた~