Lively Up Yourselfに関するあれこれ
この曲Lively Up Yourselfは、10代の頃から一緒に活動してきたPeter ToshとBunny Wailerが脱退したことにより一人になったボブがバックバンドとして再編成・再始動したウエイラーズと共に録音した初のアルバムNatty Dreadの記念すべき一曲目です。
というわけで、今回は「新生ウエイラーズ」についてあれこれ語ろうと思います。
新生ウエイラーズの船出
アルバムNatty Dreadのジャケットにクレジットされているウエイラーズの新メンバーは次の通りです。
演奏面では不動のメンバー、ボブとバレット兄弟(Aston & Carlton Barrett)の3人にリード・ギターのアル・アンダーソン(Al Anderson)とキーボードのバーナード・タウター・ハーヴェィ(Bernard Touter Harvey)が加わった形です。
ボーカル面では女声トリオ、アイスリーズが加入、それまでにはなかった厚みと色彩感をバック・コーラスにもたらし、ボブとのコール&レスポンスも格段にパワーアップしています。
アルとタウター
リードギタリストのアルは、ニューヨーク出身のアフリカ系アメリカ人です。
クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)、アル・ディ・メオラ (Al Di Meola)、ファン・ルイス・ゲーラ(Juan Luis Guerra)、渡辺貞夫、小曽根真といった才能を世に送り出したバークリー音楽大学(Berklee College of Music)で学んだロックやジャズを得意とするギタリストです。
Island Recordsの紹介でNatty Dreadのレコーディングに参加してボブに気に入られてそのままウエイラーズの正式メンバーとなっています。
1976年までウエイラーズでリード・ギターを担当。Peter Toshの2枚のソロ・アルバムLegalize ItとEqual Rightsの録音とツアーに参加した後、1978年にウエイラーズに復帰して1980年のラストコンサートまでボブと行動を共にしました。
ウエイラーズ初のアメリカ人メンバーです。最初の1年は他のメンバーが喋るパトワにまったくついていけず、コミュニケーションの面で苦労したそうです。
ロックやジャズやファンクのフィーリングを生かしたアルのギターはリズムキープ主体の旧来のレゲエのギター奏法とはまったく違うスタイルです。
レゲエなんて聴いたこともなかったロックファンが理解し、存分に楽しむことができたアルの「わかりやすい」ギターこそ、欧米のマーケットでボブが成功した理由のひとつでした。
アルのギターがボブのルーツレゲエと欧米のロックリスナーの間に「橋をかけた」わけです。そういう意味でアルは新生ウエイラーズの切り札的存在でした。
キングストン出身のタウターは、ジョン・ホルト(John Holt)が1972年に放った大ヒットナンバーStick by Meのレコーデイングでデビューしたジャマイカ人キーボード奏者です。
アルバムBurnin’リリース後、合衆国に渡ったアール・ワイア・リンド(Earl ‘Wire’ Lindo)の後釜としてウエイラーズに加入、Natty Dreadと次のアルバムRastaman Vibrationのレコーディングに参加しました。
ちょとビックリなんですが、同じ頃、タウターはポップ寄りの人気レゲエバンドInner Circleでも主力メンバーとして活動してます。
ミュージシャンとして高く評価されてた証拠ですね。
ここ50年ぐらいは、Inner Circleがタウターの主な仕事場です。
「超」がつく大ベテランになりましたが、まだバリバリの現役です。2022年には野外音楽フェスティバルでも演奏してました。
コーラストリオ、アイスリーズについてはすでに紹介しています。「Rock It Babyに関するあれこれ」をご覧ください。
同志が集まったファミリー
この8人で再始動したウエイラーズは、アルバム録音やツアーの度にメンバーが少しずつ入れ替わっていきます。
一度バンドを離れてから再合流したメンバーも複数名います。ボブを核とした一種の「ファミリー」になっていったわけです。
ウエイラーズは演奏集団であると同時にルーツレゲエとラスタファリを世界に広めていくという使命を共有する強く結ばれた仲間たちでした。
タウターはレコーディング前にメンバーがボブの家に集まって泊りがけでおこなった綿密なリハーサルについてこう語ってます。
「スタジオ入りする頃には、バンドメンバー全員が曲の裏も表も知り尽くしていたよ。レコーディング・セッションがスムーズに進むようにファミリーマンが取り計らってくれてたんだ」
リハーサルの細かい部分を仕切ってたのは、ファミリーマンことベースのアストン・バレット。あまり知られてないですが、新生ウエイラーズのバンドリーダーはボブじゃなくファミリーマンでした。
音作りはバンドが担当
ボブは自ら選んだメンバーを信頼して音作りに関してはほぼ彼らに「お任せ」だったようです。
「ボブはほとんどの曲をひとりで書いていた。曲が出来上がったらスタジオに持ってきて、あとはバンドメンバーが彼のために音楽を作っていたんだ」
「ボブの音楽を作ったのはウェイラーズだよ。彼は驚くべき、信じられないぐらい素晴らしいソングライターだったけど、偉大な音楽プロデューサーじゃなかった。ミキシングなんかの技術的な面はあんまりよく分かってなかったんだ。でもボブは自分が何を聴きたいのか、自分が何が好きなのか、何が嫌いなのかは知っていた。だからあのやり方でうまくいったんだ」
アルバムNatty Dread以降のボブ・マーリー&ザ・ウエイラーズのサウンドは完全に共同作品だったわけです。
意欲と能力を兼ね備えたメンバーにフリーハンドでやりたいことをやらせたボブ。人として器が大きかっただけではなく、チームワークが生み出すクリエイティブな可能性を知っていました。
以上、今回はNatty Dreadから始まったサウンド面での進化を語る上で欠かせない新生ウエイラーズの紹介編でした。それじゃまた~