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Warに関するあれこれ1(歌詞になった演説)
1968年は間違い
圧倒的な言葉の力で聴く者を圧倒するこの曲はエチオピアの皇帝だったハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)が1963年10月にニューヨークの国連総会(United Nations General Assembly)でおこなった歴史的な名演説を引用しています。
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多くのボブ関連ウェブサイトや資料がセラシエが1968年にカリフォルニア州でおこなったスピーチであると記載していますが、これは完全な間違いです。
国連総会で演説した理由
1963年当時、セラシエには国連総会で演説する理由がありました。
この年の5月、セラシエ、エジプト大統領ガマル・アブドゥル・ナセル(Gamal Abdel Nasser)、ガーナ大統領クワメ・エンクルマ(Kwame Nkrumah)らの呼びかけでアフリカ32か国の首脳がエチオピアの首都アディスアベバ(Addis Ababa)に集まり、アフリカ諸国の連帯、相互協力、植民地主義との戦いなどを骨子とした憲章に調印してアフリカ統一機構(Organization of African Unity、通称OAU)を発足させました。
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OAUの初代議長としてセラシエは国連総会でアフリカ諸国を代表して演説したわけです。
なぜセラシエがアフリカ諸国のリーダーに選ばれたのか?答えは簡単です。
アフリカ独立の象徴
1958年から1960年にかけて26カ国が次々と旧宗主国から独立するまでアフリカ大陸には独立国はふたつしかありませんでした。エチオピアとリベリア(Liberia)です。
リベリアはアメリカ植民協会(American Colonization Society)が自由の身になった黒人がアフリカに帰れるように土地を確保して人為的に作った国です。アフリカの人たちにとって自分たちの代表と思えるような国ではありませんでした。
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一方、エチオピアはイタリアに占領された5年間(1936年から1941年)を除き、エチオピア帝国として13世紀から独立を維持していました。ヨーロッパ諸国によってほぼ全域が植民地にされてしまったアフリカ大陸の人たちとってエチオピアはたったひとつの「希望の星」的な存在だったわけです。
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そんな事情からアフリカ諸国のリーダーに選ばれたセラシエが、国連総会でおこなったこの演説はその素晴らしい内容で多くの人に深い感銘を与えました。ボブも彼の演説に心を射抜かれたひとりでした。
オリジナルはアムハラ語
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スピーチはセラシエの母語であるアムハラ語(Amharic)でおこなわれました。その英語訳に接したボブが、一番彼の心に響いた箇所を借用してこの曲の歌詞にしたわけです。
スピーチの全文(英語訳)はこのウエブサイトに掲載されています。
興味がある皆さんはDeepLを使って翻訳して読んでみるといいと思います。
謎の欠落部分
ボブが引用した箇所はスピーチ後半、人種差別についてセラシエが語った部分です。
上記サイトでチェックすれば分かりますが、同じ箇所にWarで引用されなかったパートがあります。
次の2行です。
Until bigotry and prejudice and malicious and inhuman self-interest have been replaced by understanding and tolerance and good-will
Until all Africans stand and speak as free beings, equal in the eyes of all men, as they are in the eyes of Heaven
理解と寛容さと善意が偏見や先入観や悪意ある冷酷な利己主義に取って代わるまで
神から見てそうであるようにあらゆる人から見てすべてのアフリカ人が平等で自由な人間として立ち上がり、語るようになるまで
この最後の部分、どうして割愛されたのか謎だったんですが、つい最近この部分も含めた別テイクが存在することを知りました。
これです。
単純に曲の長さの問題だったのかもしれません。
以上、今回はWarのおかげで世界中で知られるようになったセラシエの名演説と該当箇所を全部引用した別テイクについてでした。
「Warに関するあれこれ2」ではセラシエ本人についてまとめておきます。興味があればぜひそちらも読んでみてください。