Cry to Meに関するあれこれ
この曲のオリジナルはSka(スカ)がジャマイカのポピュラーミュージックだった1965年にウエイラーズが録音したこれです。
結婚する前から子供あり
この録音時ボブは20歳。ちょうどリタと出会った頃です。すでにボブにはほかの女性との間にひとり子供がいました。
1963年生まれのImani Carole Marleyです。
ボブとリタが結婚したのは1966年。結婚した時、リタにも別の男性との間にひとり子供がいました。
1964年生まれのSharon Marleyです。
まだ21歳(ボブ)と20歳(リタ)でしたが、ふたりはすでに恋愛と破局を経験していました。
と言うか、18歳で未婚の親になってからまた別の人と出会ったりしてるわけですからボブもリタも恋愛経験は豊富だったんだと思います。
でないと浮気が原因で愛する人を失った男性が同じ失敗で苦しんでいる女友達にアドバイスするなんて曲を20歳そこそこでは思いつかない気がします。
浮気した側の痛み
浮気による破局を扱う場合、パートナーに裏切られた側の悲しみや悔しさにフォーカスするのが定番ですが、この曲は正反対です。
浮気した方も心が苦しくて痛いんだよと歌っています。ちょっと珍しい視点だと思います。
どうして若き日のボブがこんな曲を書いたのか?理由はわかりません。
そしてなぜこの曲をリメイクしてRastaman Vibrationに収録したのかも謎です。
謎だらけなのは曲だけではありません。
謎だらけの夫婦関係
ボブとリタの夫婦関係も大きな謎です。
1966年の結婚から1976年のRastaman Vibrationリリースまでの10年間にボブとリタは3人の子供に恵まれています。
1967年生まれのCedella Marley、1968年生まれの Ziggy Marley、1972年生まれのStephen Marleyです。
この3人にプラスして、ボブはリタ以外の女性との間に4人、リタもボブ以外の男性との間にひとり子供をもうけています。
ボブは浮気しまくってました。リタがStephenを宿した1971年頃にはすでにふたりの愛は冷え切っていたようです。
1972年にはStephen以外に二人もボブの子供(Robbie Marley & Rohan Marley)が生まれています。母親はそれぞれ別々です。
そして1974年にはリタがボーイフレンドとの間につくった子供(Stephanie Marley)をボブが養女として迎え入れています。
リタに対するロマンティックな感情はもうゼロで「割り切って共同生活する」仲間みたいな間柄になっていたようです。
1972年以降、ボブはリタ以外の女性との間にさらに5人子供をもうけています。
ボブの子供は全部で11人です。偶然ですが、実子だけで彼が愛したサッカーのチームができます。
リタもボブの死後もうひとり子供をつくっています。リタの方は全部合わせると子供が6人です。
男と女のことは当事者にしかわかりません。わかっているのはリタがボブが天に旅立つまで一緒にいたことだけです。
リタはなぜボブと別れなかったんでしょう?
ボブの死後、ふたりの関係についてリタがいろんな説明をしていますが、何が本当だったのか真実を知る方法はないです。
もうひとりの当事者がとうの昔に天国に行ってしまっているからです。
ひとつだけ間違いないのは、一夫一婦制を守っている現代の日本人や欧米人の恋愛観、結婚観、道徳観とは別の価値観でふたりは生きていたということです。
モテ男ボブ
ボブは本当に女性が大好きでした。
そして恐ろしくモテる男でした。
眼には見えない強力なフェロモンのようなものを常にまき散らしていたんだと思います。
自分から積極的に動いて相手を探さなくても魅力的な女性が魔法のように次から次へと目の前に出現したようです。
Cindy
例えばCindy Breakspeareがそうです。
Cindyはイギリス系の父とカナダ人の母を持つ1954年生まれの白いジャマイカ人です。
ボブより9歳下の彼女はボブがトレンチタウンから移り住んだアップタウンの高級住宅地Hope Roadの隣の敷地の住人でした。
そしてご近所さんになったボブと運命的に「出会って」しまったらしいです。
フィットネスマニアだったCindyは健康オタクで毎日ジョギングしたりサッカーをしたりして身体を鍛えていたボブと意気投合して付き合い始めたと言われています。
ふたりが付き合い始めた1976年の11月に彼女はロンドンで開かれた世界大会にジャマイカ代表とし出場し、その年のMiss Worldに選ばれています。
そして1978年にボブの子Damian Marleyを産み、死ぬ直前までリタ公認の愛人としてボブと共に過ごしました。
ファンなら知ってると思いますが、アルバムExodus収録のふたつのラブソング、Waiting in VainとTurn Your Lights Down Lowはどちらも愛するCindyのためにボブが作ったナンバーです。
ほかにもいた特別な女性
Cindy以外にボブから特別に愛された女性としてはEsther AndersonとPascaline Bongoがいます。
ジャマイカ出身のモデル兼女優兼映画プロデューサーのEstherは1972年にNew Yorkで開かれたパーティでIsland Recordsと契約したばかりのボブと出会い、ジャマイカから世界を目指す仲間として惹かれ合い、付き合い始めたそうです。
才能豊かなクリエイターだったEstherはI Shot the SheriffやGet Up, Stand Upといった代表曲をボブと共作したとも言われています。
婚外子を作らないポリシーの持ち主でかなり長い間付き合っていたのに避妊し続け、ボブの子供を宿さなかった人でもあります。
Pascalineは中部アフリカに位置するガボン共和国の人です。ガボンの大統領だったオマール・ボンゴの長女です。
カリフォルニアに留学してUCLAに通っていた1979年に大ファンとしてウエイラーズのロスアンゼルス公演の楽屋を訪れ、そこでボブと出会っています。
初対面でボブはストレートに矯正していたPascalineの髪型にいきなりダメ出ししています。Pascalineはアフリカ出身にもかかわらず西欧的な考え方に染まっていた自分にアフリカンとしてどう生きるべきか諭したボブに心を鷲づかみにされたようです。
彼女はその場でボブにガボンでコンサートをやって欲しいと頼み込んだと言われています。
出会いからアフリカへ
Pascalineに招かれて、ボブはウエイラーズと共にガボンを訪れ、1980年1月に首都Librevilleでステージに立っています。
ウエイラーズによるたった2回のアフリカ公演の1回目、ほとんど知られていない方です。2回目はジンバブエの首都Harareでおこなわれた同じ年4月のあまりにも有名な独立記念コンサートです。
ボブの最後のガールフレンドとなったPascalineもリタに認められて死の直前まで一緒に時間を過ごしました。
以上、ladies’ man(女好きなモテ男)ボブをめぐる女性たちのエピソードをちょっとだけ紹介してみました。それじゃまた~