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宮崎が「台風銀座」と呼ばれていたころ

ここ数日
台風の心配が絶えない日が
続いていました。

被害に遭われた方には
心よりお見舞い申し上げます。

子どものころ
私が住んでいた宮崎では
毎年のように
台風の心配をしていました。

当時の宮崎は
「台風銀座」
と呼ばれていました。

よく台風が通過する
という意味だと思います。

だからなのか
しっかり備えをしていました。

まず家の中。
室内の太い柱には
大きなフックがあり
地面にあるアンカーと
そのフックをワイヤーで繋ぎ
家屋が風で飛ばされないように
していました。

そして窓。
全ての窓の雨戸を閉め
風から家を守ります。

おかげで
猛烈な台風がきても
なんとか無事に過ごすことが
できていました。

多いときは年に何度も。

ただ小学生だった私は
不謹慎ですが
台風が来ると聞くと
ワクワクしていました。

その台風前の準備を
父親としていたのですが
子どもながら
家を守る使命感
みたいなものを感じ
なんか誇らしげな
気持ちになっていた記憶があります。

あと必ず学校が休校になる。
これは理屈なしに嬉しかったです。

それから
確実に停電になったので
ろうそくの灯りの元で
家族と缶詰を食べたことが
すごく嬉しくて
どこか神秘的に思えました。

どこか神秘的に感じる夕食でした

さらに実家の下には
テレビ中継車がよく来ていて
中継中に近くの友達と
映りに行っていました。

そして台風が過ぎた後
近くの港には大きな魚が逃げ込み
入れ食い状態でした。

当時の大人にとっては
台風が過ぎるまで
気が気でない一日を
過ごしていたと思いますが
子どもだった私は
そんな大人とは違って
「銀座」ならではの
ワクワクがいっぱいでした。

その後
その台風によって
大きな被害が出ることや
実際に被害に遭われたことを
ニュースなどで知ったことで
子どものころのような
感情は出なくなりましたが
今回の台風報道を見ているときに
今の子どもたちはこの報道を
どう見ているのか
ちょっと気になってしまいました。

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