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治療家の陰陽論・東洋医学と量子力学を知るとアプローチが変わると考えてみた

「今日はどうしましたか」
という言葉は、病院に限らず鍼、きゅうやマッサージを受ける時に投げかけられる最初の言葉です。

それに対して、クライアントの立場であれば、
「今朝、起きたら寝違えてしまって…」
「1週間前から腰がずっと重たくて…」
という返事をするのが通常のやり取りです。

【そうか、腰が痛いんだな。まずは原因を探さなくては】
相手の症状を改善しようとするなら、次にこのような思考パターンに向かいます。私もそのように習ってきたし、またそのように伝えてきました。
原因を明らかにして、それを解消しなさい、と。

果たしてそれは、本当にその通りなのでしょうか?

東洋医学の立場から見ると

太極図を知っていますか。
このような図を見たことがある人もいるでしょう。

東洋医学では、あらゆる現象を陰と陽の2つに分けて説明しようと試みました。それがこの太極図に集約されています。

・昼と夜
・男と女
・上と下
・虚と実
・光と影

おたがいが、その勢いを強めたり弱まったりしながらバランスを取っているという考え方です。
そして、光あるところに影が映し出されるというように両者が存在することが前提です。光だけ、影だけが単独で存在することはあり得ません。

そこに、五行とか八卦などの考え方が加わって病気の成り立ちから季節の移り変わり、果てはヒトの一生までの一切を説明しようとしているのが、東洋医学です。

量子力学の視点を知る

さて話はいったん、移ります。
量子力学は、この世を構成するものは【波と粒子】の2つにたどり着くと考えます。

そして、観察者の見方によっておなじ現象でも粒子としてふるまうパターンと波動としてふるまうパターンに分かれる…このことを知ったとき、私は愕然としました。

二重スリット実験

例えるとこういうことです。

幼稚園で子どもたちがワイワイとにぎやかに遊んでいます。
そこへしつけに厳しい園長先生がやってきました。
子どもたちは、遊ぶのをやめておとなしくなりました。

しばらくすると、お母さんたちが迎えに来ました。
子どもたちは笑顔になってお母さんのところへ元気に走りだしました。

ちょっとコワい園長先生と、温かくてやさしいお母さんとでは子どもたちの行動が変わってしまう。私はこの例えをよく使っています。

観察者が誰なのか、その本質はどのように子ども(対象)を見ているかによって相手の行動が変わる。観察者効果という考え方を知ると、これから先の行動がブレイクスルーしていくと思います。

医療機関での問題解決型思考

ここで最初の質問に戻ります。
「今日はどうしましたか」
こう尋ねられると、自然とどこか悪いところ、痛いところを探そうとしだします。そして、「腰が辛いんです…」という会話が始まります。

医師や看護師、鍼灸師やマッサージ師、民間資格のカイロプラクターなども皆一様に【悪いところを何とかしよう】としている状況です。
それはその通りですよね。
体調が悪くなければ、医療機関に行く必要もありません。

そして病院では、レントゲンを撮ったり血液検査をしたりして、
「ここに少し影があります」
「去年に比べて血糖値が上がっていますね」
などという帰結になり、薬を処方されたり手術を勧められたりします。
そう、【悪いところをよくする】ために。

悪いところ探しはどこまで行ってもキリがありません。
背骨のゆがみを見るカイロプラクティックの視点であっても、人間生きていればどこかしら捻じれたり歪んだりしているんじゃない?と思うわけです。

悪いところを探してよくする=問題解決型思考と言います。
この視点にいる限り、相手には何かしら悪いところがあるという前提に立たなくてはなりません。

だって相手は病気だから?
いやいや、そうじゃないでしょ。

東洋医学×量子力学によるブレイクスルー

そこで登場するのが東洋医学の視点です。
「病を見るのではなく人を見る」と言われます。
目の前にいるあなたという存在は、光と影の両方を抱えている。
そして、観察者効果を思い出してみます。

観察する人によって、相手の行動が変わる

問題を解決しようとして、相手の原因(悪いところ)を探す、のか。
相手は光も影も内包している存在として全体を俯瞰する、のか。

…どちらの立ち位置を取れば、目の前の相手に必要な治癒が起こるのか。
そんなことを考えながら、日々の治療に向き合っています。

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かんだひろし@たまねぎ
physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。