治療家の成長論・手技療法を教えていると必ず出会うおしえて君と八方美人さん
きっと、どの業界にもいるのだろう。
今どきの言葉でいえば「テイカー」できるだけタダで、しかもいいとこ取りをしたい。そういう人たちがいる。
きっと、不安なんだと思う。
限られたリソースで、コスパ良く学びたい。誰しもがそう思う瞬間があるだろう。
しかし、それで得られるものは限られているし、自分を振り返って真に身についたと感じたものは、相応の対価を払ったものだった。
今回は【治療家として一人前になる】までに体験してきた私のことを綴ります。
教えたがりの人がいるのはなぜか
このかた、指圧やマッサージなどの手技療法を教えて20年以上になる。
専門学校の学生を見ても、まったくの初心者で学び始める人、すでに何らかの手技を身につけたうえで資格を取りに来る人など幅広い。
身近な人を癒したいという気持ちの延長線で学んでいる人もいれば、仕事の幅を広げたい、いずれは独立を目指しています、という人もいる。
当然、志が異なれば、学ぶ姿勢も違ってくる。
徒手療法に限らず、技術により成否が分かれることを教えていると必ずいるのが【教えてもらいたがる人】と【教えたがる人】だ。
教えてもらいたがる人というのは、誰でも彼でも臆面もなく「教えてください」「先生、すごいです!」と言ってのける。
それって、ホントに心から思ってるの?と感じる時がある。
とりあえず何でもいいから相手から何かを引き出して(私だけこんなことを教えてもらったんですよ!)と自分に納得したいだけなんじゃないのかと感じる。そんなんじゃ、何も身につかないですよ。
反対に教えたがる人は(俺ってこんなに何でも知ってるんだぜ)という自尊心を満たしたいのだろうし、そのことにより優越感を得たいという極めて人間的な本心が見え隠れする。恥ずかしながら、かつての私はそうだった。
いまになって振り返ると、相手のことをちゃんと考えて喋ってたのだろうか?と思い反省してしまう。
どちら側も自分の内面は満足するだろうけど、真に相手のためになっているかといえば、疑問が残るだろう。
先生の治療院は求人募集してますか?
「先生の治療院は求人募集してますか?」
開口一番、そのように聞いてきた生徒がいる。
「うちはひとり治療院だからね…。」と体よく断った。
その彼女に当てはまるかどうか、定かではないが。
(どこか治療院に入ってしまえばいろいろと教えてもらえるだろう)と考える人が多い。
でもちょっと、待ってほしい。
雇用されるというのは、時間とスキルを提供することで対価を得ることであって、自分が成長することが主題ではない。現場で患者さんに接した結果として、一人前に成長するのだ。
教育の現場で治療のすべてを伝えるには限界があると考えているし、事実、患者さんから学ばせてもらうことに大きな意義がある。
それは、以前の投稿にも記している。
専門学校を卒業する時点で「まだやっていける自信がない」と答える人もいるだろう。そこは、これからの教育現場が変わっていくことに期待したい。
一方で、知識も技術も60点で卒業したけれど仕事としてうまくいっている人もいる。確実に、いる。
現場で伸びる人とそうでない人の違いは
勉強して点数が取れるのは、学校向き。
テストはできなくても仕事ができるのは現場向き、と言われる。一体、何が違うのか。
最初は下手でも、現場向きの人のほうが長い目で見れば治療家として成長していくだろうし、いつの間にか立場が逆転していることもある。
最も大きな違いは【自立している】かどうか。自立の先に、自助ができるかどうか、に尽きる。
ここでいう自立とは、何ごとも自分ごととして捉えられるかどうかである。
自分でできることは自分でする、という当然といえば当然なことだ。その「当然」とはどんな状態なのか、一例を挙げてみたい。
お客さんに「腰が痛くて、まだこのあたりが重たいんです」と言われたとする。その先、どうしたらいいだろうか。
取りあえず、今できる効果のありそうな手技をする。それは間違っていない。でも、それだけでは足りない。
もし自分が相手の立場だったら、と想定してあらゆることを考えてみる。
・もし腰が痛いままだったら、どんなことに困るだろうか
・もし腰が痛いままだったら、家族はどんな思いをするだろうか
・もし腰が痛いままだったら、先々どんな生活を送るだろうか
そうならないために、できることをしよう。
もし自分が母親だとしたら、この子に何をしてあげられるだろうか。それを【母ごころ】と浪越徳治郎氏は仰った。
相手に与えるとか、指導する、とかではなく。相手に想いを馳せて、自分ができることをする。
腰痛で悩む人を元気にしたいのなら、
・ストレッチの本を読んで調べるとか
・週に一度は健康番組を見るとか
日頃から情報を仕入れて、できることにコツコツと取り組む。
自分ごととして取り組む姿勢を持てるかどうかが、相手に寄り添う治療家になれるかどうかの違いだと思う。そのような心構えがあれば、技術はあとからついてくる。
煮詰まった時にどうするか
一途に仕事をしていても、なかなか越えられない壁を感じる時がある。
400mレースで、あとちょっと記録が伸びない。香辛料を工夫しているけれど味がまとまらない。例えるとこのようなケースだろうか。
上達していく過程では、必ず煮詰まるときがやってくる。
どうやってそこを乗り越えるかは、その時の環境やまわりにいる仲間にも影響される。
技術は右肩上がりには上達しない。
強いて言えば、アリが階段を登って行くような感覚に近い。目の前に広がるのはどこまで行っても先は同じ景色に見える水平線。
しかしある日突然に、ポーンと一段上がるときがやってくる。
壁面を垂直によじ登るのではなく、真っ直ぐに進んでいて気がついたら高いところから、元いたところを見下ろしている感覚に近い。
あれ?こんなところにいたのか、と。
または、螺旋階段をグルグルと登って行くような、同じ景色が見えるけれども確実に一段高いところから俯瞰している、という状態。
そのような体験を積み重ねることで、徒手療法は地道に上達していく。それは誰かに教えてもらえるものではなく、自分自身で見つけるしかないと考えている。