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実技指導を一斉教育で行うには限界があるという真っ当な話 Ep 1.2

サラリーマン時代にカイロ学校に通ったことがあるものの、それは結局、何に役にも立ちませんでした。もちろん、きちんとしたカイロプラクティックの学校はありますが、私が選んだところは残念ながら、そうではありませんでした。

専門学校での指圧実技

国家資格を取ることができる。
その言葉の響きに親も安心して、息子の脱サラを応援しようという気になったのも間違いではありません。

「指圧(SHIATSU)」と言えば、今やJUDOやMANGAと同じように世界の共通語になっているから、誇りを持って学びなさい。そのような声も学内から聞こえてきます。

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どんなことでも、何か学び始める際は自分のキャンバスをいったん真っ白にしなくては、新しい絵を描くことはできません。
むしろカイロ学校で身にならなかったことは、かえってよかったのかもしれない。そう思いなおして実技の授業を受け始めました。

実技指導も千差万別

入学してしばらくの間は、自分で自分を指圧する「自己指圧」という授業内容でした。全身には660個の指圧点があり、まずはそれらを自分の身体で押してみて、どんな感じがするかを体感するという目的です。

「ここの指圧点はこういうふうに押すんだよ」と手を取りながら丁寧に教えてくれる教員もいれば、1クラス30人が一斉に、号令に合わせて手順通りに足や腕を指圧していく。そんなスタイルの授業もありました。

初心者は、まっさらな状態でそれを真似をして「そういうものだ」と信じます。また、そうでなければ何も身につかないものです。
自ずと『誰から習うか』がとても重要な要素になるのは自明の理です。

◯◯式、という看板を掲げた手技療法は、巷にごまんとあります。
しかし蓋を開けてみると、同じ◯◯先生から学んだ人のはずなのに、やり方が全く違う。そういうことはいくらでもあるのが、この業界でした。
指圧学校もご多分に漏れず、A先生とB先生、そしてC先生では教えることが少しずつ違います。

それをどうやって受け止めるかは学生次第。

「同じように教えてくれないと困ります」と言う学生もいる一方で、「A先生はこういうところがわかりやすい」とか、「B先生にこう教えてもらったからできた」として、その多様性を受け入れる学生もいます。

手技療法を身につけるために大切な2つのこと

そう、基礎と多様性。
手技療法を学ぶ過程で身につけるべきは、この2つに尽きます。

「基礎」とは一定の理論や操作方法があり、そして誰が行っても同じ効果が期待できるもの。基礎があることでその療法は体系化され、教える・学ぶという関係性が構築されます。

「多様性」とは凡そ個人に属するもの。
この先生ならではの得意分野(たとえば、ぎっくり腰を治すのが得意)とか、患者さんを施術してきた経験から得られる知見(たとえば、膝が痛い患者さんはこういう生活パターンが多い)など、人それぞれに異なる特徴をもっています。さらに多様性があることでその先生らしさが醸し出され、顧客=リピーターが増えることも事実です。

イチロー選手が毎日、素振りを欠かさないように、基礎はどこまで行ってもその人の礎となって技術を支えてくれます。
また、施術するという行為は自分の身体を操作して行うことから、むしろスポーツ経験のある人のほうが基礎を習得するのも速い傾向にあります。

そして、基礎を繰り返し修練することで、いつの間にかこんな境地にまで辿り着いていたというケースはいくらでもあります。

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指圧学校での実技指導は、その基礎を学生同士でおたがいに練習することでした。一つのことを反復練習することで、刀鍛冶が刀を鍛えていくように、刃先は鋭く切れ味が磨かれる。そのような考え方が教育の根底にあったように思います。

「技は見て盗め」

そういう考え方が世の中にはあります。
それは、料理人しかり、宮大工しかり。
およそ「職人」と呼ばれる仕事をしている人たちは、少なからずそのような修行時代を経験をしています。
そして、その姿勢に憧れて職人を目指そうとする人たちがいます。

その一方で、近年ではホリエモンが寿司職人の修行を一蹴したような考え方もあります。

必要なのは「センス」

そう言い切る姿は心地よくすらあります。
手技療法をモノにするために必要な、基礎以外のもう一つのもの。
治療における多様性の核をなしているのも、センスに尽きると思います。

基礎以外を養うにはどうしたらよいか

学生なら、次にこう聞いてくるでしょう。
「そのセンスを養うには、何をしたらいいんですか?」

それは例えば、古典を読む、一枚の名画を見る。
または水平線に沈む夕日を眺める。

いわゆる教養を養うとか、感性を磨くなどと呼ばれることが、これに相当するのではないか。
資格を取ってから20年が経ち、ぼんやりとそう感じます。
そして、肝心のセンスが磨かれるにはいくらかの時間が要ることも知りました。当時の私は、そこまでの考えが及ぶことはなく、別のことを考えていました。

自分の腕を磨いて一流になりたい。

頑なにそう信じていた私は、指圧業界の中で「名人」と呼ばれる先生を探すことになります。


physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。