専門学校に絶望した先に見えた景色 Ep 1.3
まずは自分のいる世界で「名人」と呼ばれる人に会おう。
そう決めて専門学校の校長先生に相談すると、何人かの卒業生を紹介してもらいました。
学校の外の景色
その先生方の治療院に足を運び、施術を受けて話を伺います。
どの先生も何人かのスタッフを抱えており、なかには複数の店舗を経営されている方もいました。
「多様性」にあたる独自の理論や技術を話してくださる方もいましたが、なぜか私の琴線に触れることはありませんでした。
今思うと、突き抜けた感があるかないか、で当時の私は師匠となる先生を探していたように思います。
自分の腕一本でメシを食っている、という強烈な個性。
そういったものに、私自身が憧れていたのかもしれません。
5月の連休が過ぎ、指圧学校の同窓会なるものが開催される、という情報を耳にします。参加したい旨を事務局の方に伝えると、日時と場所を教えてもらいました。
同窓会で受けた衝撃
そして当日。自宅からほど近くにある公共施設のホールで行われている同窓会に参加しました。集まっているのはおよそ80人ほど。壇上では講師の方の話が続いています。
何より衝撃を受けたのは、若い人たちがいないこと。
見渡すと、いずれも中年を過ぎた男女ばかり。
いやむしろ高齢者と言い表したほうがよい方ばかりが集まって、話を聞いています。学校からも何人かの学生が参加していました。
「ちょっと待て、自分が望んだのはこんな世界じゃない」
学校では、10代、20代のグループ
脱サラをした30代、40代のグループ
定年を迎える50代、60代のグループとほぼ同じ比率でいたのに、この違いは何だろう。それが強く感じた疑問でした。
あとからクラスメイトに聞いてみると、学校を卒業した後で同窓会に入る人はほとんどいない、との話。
徳治郎先生が全盛期の頃にファンクラブ的な感じでできた同窓会が今は形骸化して続いており、その名残りで年配の先生方が多いのではないか。そして重鎮と呼ばれる人たちが幅を利かせている。
そう理解すると、もはや指圧業界への興味は薄れていくばかりです。
それでもまだ入学して3ヶ月も経っていないし、今度は国家資格を取るのが目的だし、そう簡単に諦めるわけにはいきません。
外に師匠を求めて、2泊3日の「夏期大学」に参加することになります。
名人と出会うきっかけ
ぶじに1学期も終わり、7月末から夏休み入ります。
学生なら当たり前の夏休みも、一度社会人生活を経験した人間にとってはこのうえないご褒美をもらったように感じていました。
当時、夏期大学に参加できるのは卒業生だけ。
学生が参加するのを教員は知っていても、学校内では素知らぬ振りをしていました。それも不思議な話。
よくよく聞いてみると、学校以外の場所で卒業生といえども教員以外の者から指圧の指導を受けると、学校で教えている内容が疎かになるというのが理由。パンフレットを見ると、たしかに学校では習えないような講義が連なっています。
幸いにも相部屋になったのは、一つ上の学年の先輩。
しかもどうやら業界には詳しいようで、いろいろなことを話してくれます。◯◯先生の講義は聞いたほうがいい。△△先生の指圧は痛いだけだからやめておけ。そんなことを聞くだけでも、夏期大学に参加した甲斐があったとひとり微笑んでいました。
1日目の夕食は、大広間を借りて大規模な懇親会が行われます。
その頃はまだ徳治郎先生もご健在でしたので、乾杯の音頭を取り、にぎやかに宴席が始まりました。
あたりを眺めると学校の先生方の姿もあります。
普段、学校ではあまり話もできないので、これ幸いとビールを片手に話を聞いて回ります。最後は「指圧音頭」という踊りを全員が輪になって踊り、大円団。それぞれの部屋に帰っていきました。
懇親会は夜が本命
懇親会も終わり部屋に帰ると、かの先輩が耳打ちしてきます。
夏期大学は夜の時間につながりを作らないと来た意味がない、と言います。何のことか不思議な顔をしていると、どの先生もそれぞれ自分の弟子やら仲間を集めて、独自に勉強会をしているというのです。
そして、その先輩は静岡から来た「名人」と呼ばれる先生の部屋に伺うとのこと。これはまたとないチャンス、といそいそと私もついて行くことになりました。
そしてそれが、以来10年以上にわたって師事することになる指圧の師匠との出逢いでした。