魔法使いになりたくて徒手療法の沼にハマってしまった話
徒手療法の世界に入って25年になる。
指圧を皮切りに、オイルマッサージ、骨格調整など興味の赴くままに徒手療法を学んできた。
身についたもの、最後まで曖昧に終わったもの。
いまもクライアントさんに施しているものなど様々あるけれど、どの学びも私の一部になっているのは間違いない。
私の根底にあるもの
何かを極めることがカッコいいと信じていた20代の終わりに業界に飛び込んで以来、まだ見ぬ何かやその先の景色を見たいと思って突き進んできた。紆余曲折しながらも。
その根底にあったのは、
・真なるもの
・善なるもの
・美しいもの
を知りたいという欲求。
そして、目に見えないものの世界を見たいという好奇心。
バブルが崩壊して間もない頃、時代が変わっても廃れない普遍的なものを身につけようと意気込んでいた。
幻冬社を創設した見城徹さんの自伝にある
「人はこの世にありて、この世ならざるものを見たい」という言葉を読んだとき、わが意を得たり!と嬉しくなった。
まさに、私の原点。
どんな景色が見えるのか、その好奇心に突き動かされてここまでたどり着いた。
今では授業中に見せる手技のデモンストレーションでさえ「魔法みたい」と言われるようになった。
「後進に何かを残したい」と思ったら、それは老いた証拠と聞いたことがある。それでも私は、何かを書き残そうと思う。
魔法使いが成長していくようなドラマチックなことは書けない。
それは徒手療法を身につける後進のためでもあり、私の手あてを受けているクライアントのためでもあり、そして私自身の気づきのためでもある。
徒手療法の入り口
地球の歩き方に倣って、徒手療法の学び方について書いてみたい。
徒手療法を学ぼう、という人の背景にはいくつかのパターンがある。
ひとつは、親が治療院をやっている2代目、3代目だからという理由。
2つ目は、スポーツで怪我をして、自分でも治せるようになりたいという過去を持つ人
3つ目は、自分探し。
自分が何者かわからなくて、とりあえず何かを身につけたい。敷居が低くて私にもできそうと思っている人。
私の場合は3つ目の、自分探しがきっかけでこの業界に入った。
そりゃ当然、紆余曲折もする訳だ。
さて、魔法使いになりたくてというタイトルは、ある出来事に由来する。
それは、指圧学校で出会ったある指圧師の影響だ。
その先生は、ふくらはぎをチョンチョンと2,3回押すだけで、硬かった体がスルッと前屈して床に手がつくようなパフォーマンスを講習会で見せていた。
右も左もわからない20代の学生が、そんなものを見せられて動揺しないハズがない。指圧って凄いのか!?と感じた瞬間だった。
やがて最初の師匠と仰ぐようになるその人は【3年待っても正師につけ】と常々、言っていた。正師とは仏教の言葉で、仏道を正しく教導する人のこと。施術においてもおなじことが言える。
「高い建物を建てようとしたら、基礎を深く掘るだろう」
しっかり治療ができるようになりたいなら、きちんとした先生から学びなさい、と話していた。
誰と出会うかはその人が持っている運にもよる。
人様とのご縁だ。
私的)学びの段階について
さて、まずはまっさらな状態で師匠の真似をする。
当然、ものごとが身につくまでには段階がある。
何がわからないか、何を聞いたらいいかもわからない段階
この時は、できてもできなくてもひたすら言われたことをやるしかない。
最近とくに感じるのは、何かを聞いてもやらない態度。
すぐわかった気になる、しかも自己流に…そういう場面に出くわすと「知る」と「やる」は違うのだよ、と思ってしまう。
まずは師匠に言われたことを愚直にやるしかない。
繰り返しやって、一定のかたちができつつある段階
自分なりに時間をかけて、何かができつつある状態。
この時期には師匠や先輩による修正が必要。身近に頼れる人がいるかどうかも大きく影響する。
おなじ轍を踏んだことのある人からの指導は腑に落ちる。
ある程度のことがわかり、できるようになった段階
いくつかの修正と気づきを得て、一定のレベルまで形ができてくる。
本人の理解が進み、何をしているか明確に方向性を持てる段階。
ここまで来てやっと楽しくなり、仕事としてやっていける自信につながる。
そしてまた、わからなくなる段階
いままでできていたことができなくなる。
施術していてもそれ以上、クライアントが変化していかない段階が訪れる。
それをスランプと呼ぶのかもしれない。
しかし、ここを乗り越えるとさらに大きな飛躍が待っている。
一周まわってスタート地点に還る経験は、さらにヒトを強くする。
師から学ぶ、何かを身につけるということは、この循環をひたすらグルグルと回していくように思う。少なくとも私はそのように理解している。
これでいい、という到達点もなければ、
これじゃダメ、と制限するのも違うと思う。
…そして見事に沼にハマる猛者が誕生する。
本人がどこまで向き合うか、
その覚悟で身につくものは変わってくると感じている。
だからこそ、その先の景色を見せてくれる師匠の存在は大きいのだと考えている。