予想外を予想する。
先日、NHKの『チコちゃんに叱られる』を見ていたら「どうして子供は肩こりや腰痛がないの?」っぽいお題だった。(うろ覚え)
最近、肩こりと腰痛が酷い。なので非常に興味あり。チコちゃんは無駄に動きながらこう言った。「ドドン!無駄な動きが多いから~」
たしかに子供はいつもふにゃふにゃしている。常に徒競走。実に楽しそうに全力で走る。階段の踊り場では急におもしろターンをし、三人集まればゲラゲラ笑いながら変な踊りやステップを踏んで歩く。まったくじっとしてない。なんともうらやましい。
それに比べて我々大人はどうだ。デスクワークなどは椅子に座りっぱなしだ。毎日同じ事を繰り返す。お外で働かれている方も動きは同じだ。決められた所作・行動・ルーティーンを繰り返し繰り返し働く。何年も何年も。
”職業病”という言葉もあるほどに。決まり決まった動きを繰り返す結果からくるものである。
なので、大人も予想外の動きをすると全身のコリが楽になるらしい。ホントかよと思いながらも試しに説明しがたい動きで行進したり、即興でオリジナルの暗黒舞踏をしてみた。
本気で、だ。
白目になりよだれが出そうなほどに頭や手足をめちゃくちゃにぐるぐる回した一分間。これで楽にならなかったら誰にも言えない記憶が一つ追加されるだけである。楽になれ。楽だろ?自分?なぁ?そうだよな?自分?
・・・・・
身体がたしかに楽になった。
楽になって驚き、そしてもう一つの事に気づきもう一回驚いた。自分は毎朝ラジオ体操をしている。言わずもがな”朝の固まった身体をほぐす体操”だ。第一体操も第二体操もたとえ寝ぼけててもこなせるほどに熟練している。
もしかして、自分の身体は身体をほぐすラジオ体操ですら”毎日の決まった動き”としてとらえ、それは”身体の予想外の動き”ではなかったのだと。「あーわかったわかったはいはい。いつものね。いつものやろう」みたいな予定調和。
”予想外”恐るべし。予想外を予想したことは今まで一度もなかった。
すごくショックを受け、その日の食卓で家族にこの気持ちを伝えたのだが話始めたとたんに飯を食いながらも皆どこも見えてない”飛び出す3Dの絵本を見るような目”をしだした。皆全くと言っていいほど反応がなかった。僕はここにいるよ?
と、いうわけでnoteにしたためているのだが、たぶんこれを読むみんなの目は何も見ていない目であろう。いいんだ。いいんだよそれで。
だってこのお話自体が貴方にとって”予想外の事”だもんね。いい。わかった。僕が言いたかっただけなんだ。ごめんなさい。ごめんなさい。