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Teleの夜行バスについて

Teleの夜行バス
喜多朗さんのインスタにあるが

「18歳、僕は愛と憤りの違いがわからなくて、僕にとっては真っじゃない世界に怒りながら2個上の恋人とその時間的な距離に、懲りもせず怒っていたりした。
あの時から変わらず、世界は僕にとって真っじゃないし、埋められない他人との距離というのはやはり当たり前のようにあるのだけれど、ほんの少しだけ僕はそれらを受け入れる事ができるようなった気がする。
トンネルを抜けた先には愛した人だけ笑える世界はない(曲を書いた時からもこれは反語的な皮肉でそれ故の『なんてね。」なのだけれど)だけど、誰しもが平等に笑う事は不可能だと気づいてる僕たちは、身勝手に近しい人達だけの幸せを祈る権利があるんじゃないかと今でも思う。」とのことだ。

私はTeleを知ったのもこの夜行バスだし、私の大切な曲の一つである。だから喜多朗さんのこの言葉とともに夜行バスの曲がなんで私にとって大切になっているのか考える。
しかしながら大切という言葉が曖昧だし私自身がどういった音楽を好きかというのも関係するので身勝手な分析になることは目に見えた上での呟きということを明言しておく。ただ今のところ共感ができて、様々な解釈ができる(色々考えられる)ものが好きな音楽といえるかもしれない。こんなものを言語化するのすら野暮なことだろうがさて置く。
夜行バスというのがもう世話になってる乗り物である。私の使用目的としてはライブの遠征、旅行、私も遠距離なため恋人への出会う手段である。喜多朗さんとこの時点で重なる部分があり、おそらく共感が生まれている。
うーんここまで来てであれなんだけど言葉にするには勿体無い気がしてきた。もう私の中での大切というもののポジションが分かったからそれでいい気がする。だからまた気が向いたらやる。

そして数日すれば当落発表だったはず
私はあなたに会いたい

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