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子ども達のサポートをすると決めた今、ワタシ自身の高校生活を振り返る。大学受験はどうするの?

小さい頃からの憧れ?の高校に入学したワタシは
入学式に出席してショックを受けました。

校長が「大学受験」を話題にしたからです。

高校受験が終わったばかりで、もう大学受験?と
なんとも言えない気持ちになり…
高校生活へのやる気が萎えたのを覚えています💧

新しい環境も友人関係も部活も楽しかったですよ。
ただ…勉強への意欲は無くなりました(笑

高校卒業後の進路は
全員が進学のため、大学受験は既定路線でした。

物心ついた時には親族から
「地元国立大学へ行き教師になれ」と言われ続け
ワタシ自身も、そうなるものだと思い込んできました。

でも、高校生活を送る中で
『教師は…無いな』という気持ちは芽生えました。
誰にも言うことなく、ワタシの中だけで…。
この気持ちを相談できないまま…。


大学受験への心構えがワタシには無かったのです。
(両親にも無かったと…思います)

何故なら我が家は大変な事態になっていたから…。

母親の入院です。
母の乳がんが見つかり、入院、手術となりました。

祖父、両親、ワタシの4人家族。
母を中心に回っていた家だったこともあり
その母の病気発覚は我が家にとって一大事でした。

当然ながら父は現役で働いていたので
仕事後に母の病院へ行くのが日課になりました。
父が家事全般をやらざるを得ない状況でしたね…。

母自身も仕事をしていたこともあり
元々、ある程度は家族で家事分担はしてました。
それでも、母の家事割合が圧倒的に多かったと思います。

父1人では無理なのでワタシも手伝いました。
家事を分担しながら日々を過ごすしかなかったです。
洗濯にお風呂の準備、食事作りと
その日の状況を見ながら父と協力して…。

祖父は農業をしていたこともあり
自分の洗濯や、収穫野菜の簡単調理は出来ました。
誰かにやって貰うのが当たり前ではなく
祖父自らも動き協力してくれたので助かりました。

家族間で揉めることもなかったのは
今思えば、本当に良かったなと…😌

ワタシのお弁当も自分で作るようになりました。
高校3年間、昼食は自分でなんとかしてましたね。
時に学食、登校途中のコンビニやパン屋さんも
利用しながら…でしたが🍱🍙🥐


母が退院してからも家事分担は続きました。

無理をさせられないのはもちろんでしたが…
母の乳がん手術はハルステッド法と言って
乳房+大胸筋、小胸筋、リンパ節等を
広範囲で切除する術式で後遺症も辛かったと思います。

今では考えられない術式ですが
母は弱音を吐かずリハビリを頑張ってました。

ちなみに、母の手術から約25年後に
ワタシ自身も乳がんの手術を受けたのですが
乳房温存手術+放射線治療+ホルモン療法でした。


在籍していた高校に通っている以上、
進学は当然だけど行きたい大学が見つからない、
そんな思いを持ちながら毎日を過ごしていました。

誰にも相談できず…というのがキツかったです。
(今、冷静に振り返ると…ですが)


文系か理系か?
消去法で文系にしました。
いや、数学は一番好きな教科でした。
でも…専門的な職業を目指すのか?と言えば
その時点ではまったく思いつかなくて💦

通っていた女子校では
1学年8クラスでした。(45人クラス)
理系は2クラス、文系は6クラスでした。
なんとなく大多数側に入った感じですね(笑

グダグダな感じで過ごし、学年は上がり、
受験を真剣に考えなければならないけれど…
実際には何も決断できないワタシ自身に
気持ちだけは焦っていました。

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