途切れても
先週、というか、前の日曜日だが、noteの投稿をし忘れた。これにより、noteのバッヂがとれなくなる(正確にはまたに年かかる)だろう。ちょっと悲しい。
ただ、「ちょっと」悲しいだけですんでいるのは進歩だ。
一年間週一でとうこうしていたとき、つまり去年は「途切れたらなにもかもおしまいだ」という恐怖心に支配されていた。
更に一年かさねたに過ぎないのだが、いまはなんだか「また始めれば二年後とれるよね」という確信、安心感があるのだ。驚きである。
この意識革新を書き起こし、忘却しないように、今日は書いている。いま書いているのはまあ、ちょっと未練がないわけではない現れで恥ずかしいが。
ふふふ。チリツモとはよくいったものである。
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