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娘について | 語らせてください。
“娘の紹介”
R5年5月生まれ(1歳6ヶ月)女の子👧🏻
自分で言うのもですけど、だいぶママっ娘です。笑
基本的になんでも食べてくれますが、
野菜とフルーツとパンが好きです!
性格は私に似ているので、
次どんな感情がくるか予測できます笑
身内以外は人見知り発揮!家とのギャップが堪らん〜
よく話、よく笑い、よく動き、よく食べ、よく寝て、
普通の子と何も変わらない、障害をもつ娘です。
“娘の障害について”
先生曰く「胎児期の脳が完全に形成される前に脳梗塞になったんだろう」との事。
いわゆる"脳性麻痺"
左の脳のほとんどが黒くなってました。
また脳梗塞になる心配のない血液との事で、
診断名としては、
“痙性麻痺”“右片麻痺”“左脳梗塞後遺症”
“娘、私、ヒストリー"
妊婦健診、乳児検診、異常無し。
少々向き癖がある事、左手ばっか使う事、
気になることはあったが、小児科の先生も言及せず。
第一に“おかしい”を言及したのは私の祖母でした。
私も“おかしい”に気づいてたものの、気づいて欲しい人には気づいてもらえず(病院の先生)
そしてどこかで“もしかしたら”を知りたくなかった。
首座り、寝返り、ずり這い、なんの問題もなくクリア。
だけど引っかかる、もしものことがあっちゃ遅い、
セカンドオピニオンとして、6,7ヶ月検診の病院を変えた。
“そうだね、大きい病院で診てもらおうか”
この言葉に今までにない感情が湧き出たのを覚えてる。
不安?恐怖?安堵?
総合病院受診日前日、伸ばし続けていた前髪を私と娘で短く切った。願掛けをしたつもりなのか、大丈夫だと自信をつけたかった、、、
そして当日、天気は雨。なんか嫌な感じがした。
移動の車で呑気に揺られてる娘の開かない手ををこじ開けて握ってくれない手を無理やり握らせて“大丈夫”と言い聞かせた。
大丈夫って自信しかなかった。
それは逆に“多分なんかある”って確信してたから
気持ちが麻痺してた...
先生:動けるし、立ってるし、発達面も問題ないから利き手の問題かな〜
CT撮ってみるけど、何も映らないと思うから年明けにMRI撮ってみよう。
なんだ、やっぱそうか、なんでもないじゃん
だけど、
CT後なかなか呼ばれない、
娘はキャッキャ笑ってる
ソワソワする、大丈夫と落ち着かせる、
動悸が止まらない、
先生「〇〇番さん診察室にお入りください」
私 「お願いしま、、、ぇ?」
時が止まった、何もかもスローモーションに見えて、
ふらついて倒れた。
CTでもハッキリとわかる、
左の脳のほとんどが黒かった。
「この梗塞の規模で動けてることが信じられなくて
最初の診断すみません。
今動けてる分は衰えることはありません
が、どこまでできるかは分かりません」
「嚥下、装具、車椅子、学校の事、就職先のこと」
全てフォローします との事。
その場で崩れ落ち、力が抜け、嗚咽を抑えて
“泣くな”“泣くな” 必死に我慢した
だって、娘が笑ってる、私を見てる、
逃げ出したい気持ちになんとか耐え、
「来週にMRI撮ります」
の言葉にトドメを刺された。
やっぱ、そうか、問題があったのか、
さっきまで、年明けって言ってたじゃん、
声にならない声で絞って出た言葉は
「娘は死にますか?」だった。
あの時はこの会話が精一杯で、
生き続けられるんだったらなんでもいいと、
ただそれだけが聞きたかった。
そう思った。それは今も。
診察室から出るなり3人ほどの看護師さんに支えられ、涙、鼻水、垂れ流し状態で授乳をした。
帰りの車20分間、私たちの精神状態は異常そのもので、
ハイとローを繰り返した躁鬱状態。カオス。
家に着くと、行きに降ってた雨が止み、晴れ間が見え、端から端まで見える大きい虹が出てた
こんな憎い虹は初めてだ
私たちの目からは大量の雨
その天気はこれからの私たちを表してたんだと、
今思える。
MRIまでの1週間、はっきり言って生きた心地はしないし、食事、水分、ほとんど入らず、
食べたら腹痛、嘔吐、最終的に血便、
胃に穴があいててもおかしくない状況。
私が娘を心配するように、母も私を心配、
その母を心配する祖母、心配の連鎖。
だけど皆が共通するのは“大事な娘だから”
やっぱり私も母も祖母も娘の存在は大きかった。
ばーば、皆の心配を背負ってくれてありがとう。
“1週間で立ち直る”
MRIまでの1週間、もうこれ以上のことはないだろうってくらい、泣いて、責めて、悔いて、ごめんねごめんねと思い続けた。
診断を受ける前までとなんら変わらない娘、
いつもの日常、私の気持ちだけが追いつかない、
娘を見るたび涙が出る、娘が泣くとすぐ抱きしめた、
麻痺してたんだね、痛いの?痺れるの?
だから動かせなかったの?
なんで見過ごしたいと思ったんだろ
今すぐに変わってあげたい、
私も同じ気持ちになりたい、
娘は違和感があっても話せない、
苦しい思いさせてごめんね、
娘はよく泣くし、抱っこが好きで、
とにかく手がかかった、
ワンオペもあって、今まではどんよりすることの方が多かった。
娘に怒れない分パパに当たり散らかしたりと。
だけどそれ以降“子育て辛い”がパタリと消えた
それは謝意の気持ちがあったのと、
自責の念があったから、
そんな自分がすごく嫌だった。
誰のせいでもないと先生は言ったが、
胎児期ってなるとやっぱり私のせい、
そう考えてしまうのも無理ない。
子育てもままならない精神状態で、
“ごめんねごめんね”
涙しか出なかった、、、
その中でひたすらに調べた。
脳性麻痺のブログを読み漁り、まず、受け入れること。
私の1日は、ほとんどが自責と謝意
だけど唯一、パパが帰ってくると気持ちが前向きになれた。
それは、この状況でも働いてくれてるパパまでもどんよりさせたくなかった。
ただそれだけ。
パパはだらしないけど
性格は明るくておおらかで社交的で仏様みたいな存在、
私が病院で泣き崩れた時、
パパは娘を抱えながら静かに過呼吸になってた。
それでも泣かなかったし、娘を離さなかった。
精一杯強いパパでいてくれたんだと思う。
だからこそ、
仕事中パパから来た「どうしよう涙が止まらない」
が深く刺さった。
ごめんね、1人で頑張って辛かったよね、
その夜は2人で気が済むまで泣いた。
それもあって、気が晴れたのか、
もうほんとに前だけを向こう!そう決心し、
MRI当日は“これ以上何も起きない”
とほんとに心からそう思えた。
結果は、脳梗塞をしてた事に変わりはないが、
周りの血管もしっかり通っていて、
先生もびっくりしていた。
やっぱりこの子はすごい、ほんとにすごい、
なにもかも覆してく娘は、信じられない生命力と治癒力とそして強さを持っている!
心からそう確信して、娘に対しての思いも変わり、
笑って、泣いて、怒って、時にイライラして、
しっかり子育てに苦しんだ笑
“娘に言えること”
障害のあるあなたの母親になれたからこその今の私。
あなたの成長とともに、私の心が成長してる。
あなただから味わえたたくさんの感情、
贅沢な人生にしてくれてありがとう。
ほんとにただそれだけ。
次は“娘の現在”を語らせて頂きます↩️
(娘の事、自分のこと、仕事のこと、パパのこと
私の考え価値観、曝け出します笑)
“スキ” ありがとうございます!
自己満ではありますが、見てくれる方がいるなら
前向きにしてくれた娘の事を発信し続けたい。
誰かのどこかに響けば幸いです。
よろしくお願いします!