日本最高レート歌舞伎町で1番強い20代と呼ばれるまで。のストーリー②動物園メンバーデビュー編/大学3年 4年編
エピソード①を読んでいただきありがとうございます。
初投稿から3ヶ月以上空いてしまい、楽しみにしてくださったファンの方々、申し訳ないですが、続編を少し書きます。
最終的には東風戦の麻雀の押し引き、読みと言った技術的な話をメインで書くつもりです。
それまでには自分がどれくらいのレベルの雀士なのかという背景を知ってもらう必要があるし、ツラツラと麻雀の話をしても説得力もないのでしばしおまちを。
というわけ今日もダラダラとスマートフォンをいじりながら書いている。文章書くのってオモロいなぁなんて考えながら。
実際、投稿を躊躇していたのには理由がある。
1つ目は身バレだ。いつも東風戦を行うセットメンツにこのnoteの存在を軽く話したのがきっかけで、Twitterで少し身バレしてまった。
特段筆者はTwitterをそこまでやらないが、界隈では少しバズったらしい。ちょくちょく声をかけられることも増えたので全てを消してもよかったが、せっかくなので、書き続けてみようと思った次第だ。
そのくせ、最近の合コンでの自己紹介の趣味では「SNSで最近プチバズりしてまして〜 絶対アカウント教えないけど界隈で少し有名になってる趣味があるんですよねぇ〜」といっている。
間違ってはないけどバズってはないぞ。歌舞伎20代最強君。
p.s 合コンは基本盛り上がらなかったことがない。
セットメンツや行きつけの雀荘の方方は逆に俺の麻雀しか見たことが無いだろうから、プライベートの俺を知ると驚かれるだろうな。クスクスクス
そう、俺に回せない卓は無い、麻雀も合コンも。
麻雀と合コンって似てるよね。自分の利益のために、他の人が有利になるようなアシストやパスを出してあげて、結果自分が得をする。
「卓上のファンタジスタ」って俺のために生まれた造語なんだろうな。
2つ目は単純に書く時間がなかった。
収益化すれば費やす時間は増えると思うが、
現状は趣味としてのnoteとしての役割しか果たしていない。
イキリ散らかした文章をひそひそと綴り、セットメンツにいじられるだけのツールと化している。
俺に暇な時間は存在しない。時間があれば卓につき牌を握る。少しでも日々の生活を豊かにするために。
プライベートでは飲み会が好きで、タコ飲みした次の日は、コンディションを整えた状態で牌を握るようにしているので休息にも時間をかけている。そのため最近はブレが少ない。
ある種アスリートのような感覚だ。
アスリートの中ではサッカー選手に近い。サッカー選手は基本土日に試合がある。試合に勝つために平日に調整をし最大のパフォーマンスを発揮する。麻雀ワールドカップが開催され、知名度関係なく日本代表を誰かが選ぶなら、間違いなく選抜されるだろう。
俺は三苫みたいなポジションだろうか。堂安か。
エピソード1は就活くらいの話で終わってたので、その続き
そんなこんなで就職したい業界を激絞り、インターン選考や説明会、OB訪問の傍ら麻雀に明け暮れる日々。
就活真っ只中のため、メンツも集まらないので、勿論1人でフリー雀荘に行って老若男女としのぎを削っていた。
既に時は大学3年生の冬にまで進む。
この頃通っていた雀荘は、さすがに最低レートの動物園雀荘だった。
ポイント収支はつけてなかったので覚えてないが勝ったり負けたりって感じで3kくらい勝てれば気持ち良く雀荘を後にして、家帰って寝るみたいな感じだったと思う。
今では3kも0.1kも変わらんって感じるし、金銭感覚ってほんと怖いなっておもう。
そういえば麻雀を知らない人のために知っておいてほしいのだが、フリー雀荘で遊ぶ場合、一回あたり0.4k円ほどのゲーム代が存在する
※通称場代である。
そのため低レートで麻雀する場合、場代を払った上でプラスポイントになることはなかなか難しい。これがいわゆる「場代負け」である。場代をもらう者が常に勝ち続ける構図になっている。場代を払っても常に勝ち続けるられる、いわゆる「強者」は世の中でほんの一握りだ。
当時の自分は勿論、場代負けしていた。ただ牌を握ることが好きだったので何も問題ではなかった。
ただフリー麻雀に慣れてきてから(大学4年開始時頃)というもの、負けて帰ることがほとんどなくなっていた。
そもそもタコ負けが絶対にない。
負けても2kぐらいのため、アルバイトとして雀荘で働きたい欲望が出てきた。
このnoteの読者は雀荘アルバイトの仕組みを知らん人は1人もいないと思うが、念のため簡単に説明をする。
麻雀は4人または3人で行うゲームのため、人数が足りなくなる。アルバイトはその欠員部分を埋めるために麻雀を行いポイントはそのまま反映される仕組みだ。いわゆる歩合制である。当時時給0.75k円とかだったし交通費も出なかったが都内の割と落ち着いた雰囲気の行きつけ動物園で働く決心をした。
就活真っ只中なので、1日1説明会(業界は金融メインの食品系コンサル系たまに)を受け残りの時間は動物円巡りをして帰宅という日々。
神奈川と東京の動物園はほぼ制覇した。その時は動物園狩りと呼んでいて、
ここの雀荘はレベルこんくらいといったメモを書いたりしてた。
ガチでイキリすぎやなホンマに。。
動物園があるから、この会社の説明会を午前に入れて〜といったように麻雀が最優先で就活があった。
グルディス大回しイキリMarch男には、内定がとっくの前にあったので何ら問題はなく、実際就活解禁日の6/1も麻雀が打ちたすぎて最終エントリー数は7社くらいだった。
実際、全部落ちてショックを受けたが、確かに志望動機も何も考えずに本番勝負で行ったら受かるわけもない。内定貰ってた会社がかなり良い企業だったので、お世話になることを決意した。
入社当時は辛かったが、今は幸せすぎる環境なので本当に今の会社には感謝している。トップセールスとして数字を出し続ける営業という肩書きが割と浸透したので、休みも取りやすいし最高である。休みをとって狙い目の平日に5勝戦へ行くことが至福の時間だ。
働いて思ったことがある。世の中は結果が全てだ。仕事もスポーツもそして麻雀も。。(会社の事もイキリ散らかしたいので、別で書こうと思ってる。まあ実際書くかどうかはおいといて。)
そんなこんなで大学4年生の7月から動物園でアルバイトデビューを飾る。通称メンバーデビューだ。実際麻雀に出会うのがあと1年早かったら26歳の今でもメンバーをしていると思う。それくらい最高だった。とにかく飽きない、楽しい、職場に行きたい、と思わせられる環境でこれは留年する奴の気持ちわかるなーと思いながら働いていた。
仕事時間は10-22の12時間休憩は30〜60分
時給が当時0.75k円とかだったから8k円の日給で、月に15日ぐらい働いてだ気がする。
もちろんセットや飲み会があれば優先してたので、フルで働く日とそうでない日があったが大体そんなもん。
毎日が楽しい。毎日好きな予定があってお金も貯まる。これが本当の人生の夏休みなんやなって思ったし、いまでも最善の打牌選択をしたなと思う。
メンバーとして働き出した動物園は行きつけだったので、店長が俺の雀力を理解してくれていた。そのため動物園には2つのレートがあるが、高い方のレートを優先的に打たしてくれた。
今でもそうだが俺の雀力を理解してくれる人、
つまり俺のことを強いと思ってくれる人は、そこそこ腕があると思う。
何が言いたいかというと
俺は麻雀が強い。
それはそうなんだが、人の雀力がある程度わかる人は強い人が多いという事だ。
麻雀は特殊で、ある程度打てるようになると自分が鉄強、最強と錯覚する。そして錯覚する人がほとんどだ。
だからフリー麻雀に足を運び、凌ぎを削る。別にそれはいい。ただよくあるのが自分自身を鉄強と思い、他全員が自分より力がないと思う人は養分である。
運に左右されるゲームではあるが、故にツイてなかったから負けたという人は弱い。運がない時に耐えれない人は養分である。本当に強い人は収束する。これが麻雀だ。
勝ちに偶然の勝ちありだが負けに偶然の負けはない。
腕が足りなくて負けたのである。
動物園時代は自身のことを鉄強と思っていたが、今は強い人は認めるし、雀力を測れるまでになったと思っている。
だから俺は今、歌舞伎町で1番強い20代かもしれないが30代40代の方と比べると足りない部分はあるのかもしれないとたまに思うので、日々勉強中である。
(Twitterでお前が1番周り見えてないやんってバズったりすんのかな エゴサやめとこ)
動物園のメンバー構成はすごいおもろかった。役者目指すもの、声優卵、元ホスト、Fラン学生、医者卵など30人くらいおったな。
学生とかは勝てないと辞めてく人もいた。その中でも役者卵系メンバーは給料を守るために立番してたりといろんな世界線があった。
同世代で可愛い子、特に麻雀が打てる子がいればなぁってつくづく思ってた。
若い頃の高○まりがいたら俺の後身でオトせるくらいの麻雀に自信があったし、本当にメンバーとして同じ店にいたら、絶対浮いたポイントで毎日ご飯奢ってあげてた。
って言うキモキモ妄想は麻雀打ちなら1回は思った事あるやろって思う。読者のあなた今、わかるってなったっすよね。。ウンウン
ちなみに高○まりはメンバー時代お金がなくて同期の男にご飯を奢ってもらってたとYouTubeで仰っております。。羨ましい。。
動物園のレート(高い方)は一回のラスで3kほど溶けるので、俺を高レートに座らせてくれたのも、店長がメンバーの給料を守る最善策だったと今思う。
結果はというと純黒だった。(時給分丸丸+歩合)
9ヶ月の中で下回った月が1か月だけあったが、ならすと毎月20kくらいは歩合でてたかなって感じ。(俺でも時給50円の日とかもあったから安心して。)
誰かに全国の動物園メンバーで2位の成績とか言われた記憶がうっすらある。まあ多分毎月純黒のメンバーが全国に2人しかいなかった?のかも知れないなと思うが、まあそんなことはどうでもいい。(純黒動物園メンバー普通にもっといると思うし)
この9ヶ月間で麻雀のベースができたのが重要。
俺の今の雀風と動物園時代はもちろん変遷しているが、土台は動物園だと思う。
そんなこんなで純黒メンバー時代が終わり、レートを上げたいと思っていた矢先の卒業間近の3月、ソフトピンというワードをメンバーから聞き、目の前にあった狸(たぬき)に通う事になる。
ちなみに動物園で貯めたお金で沢山の飲み会や東欧卒業旅行など、充実した人生最後の夏休みを謳歌した。楽しんで稼げるって最高って思ったし、メンバーとして働き続けることも選択肢としてあったが、一応社会経験を得るために社会人になる決意をした。
教員や美容師みたいにいつでも辞めれる職、いわゆる手に職をつけたってかんじ。
右腕で食っていけるという自信がついた9ヶ月。今でもメンバーに憧れがあるので、早期リタイアできるタイミングが来たら真っ先に駆け込むのかなと思う。
俺が鉄強と呼ばれるようになったのも時間をかけてレートを上げていったからなのかとつくづく思う。最高の結果にたどり着くには過程も大事だ。
ガチもんのイキリ野郎は直ぐにレートを上げる傾向にある。
そりゃテンゴがイキってピントン打ったら、基礎が出来てないんだからタコ負けすると思う。
だから初心者君、
終電アツ続行+銀行ダッシュ。
これが生まれる。
このコンビはハンバーガーとコーラくらいのコンビで堪らない。
「養分になってくれてありがとなっ!」
って同卓者は思ってる。
たぬきの後は、アンカンしたらポイント貰える店やハテナマーク(ソフ東風)などを通いまくることになるが、実際に歌舞伎町レートの東風と出会うのはさらにその2年後だ。社会人として働き出してから打ち始めることになるが、まあ既に3,700文字も書いているのでここらへんでドロンしようと思う。
実際続編書くかどうかもわからんが、なんかバズったり、即続編希望の声があがったりしたら(バズりの有無はセットメンツの養分、ウジ津君から報告がある)書こうと思う。
正直今回の続編も重い腰をあげた。セットメンツからピントンの読みの話を普通に読みたいと言われ、少しやる気になった。
またいつか。どこかで。
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