物悲しいキモチ。今日の晩ごはんは、/2人目どーするよ問題②
幼稚園帰りの娘です。もう、預けることすら罪悪感ですね。働いているお母さん(お父さん)は、気にしないでくださいって、副園長先生に言われたんだけどね。
今日はお迎えにいったら、娘と男の子ふたりで、教室は全開けで気持ちいい風が吹いていました。
今、晩ごはんがおわって19時25分。娘はYouTubeを見ています。テレビにつないだYouTubeのまーちゃん、おーちゃん、あちゃぴ、ぎんたに話しかけています。
こうなるとね、2人目もいたほうが楽しいのかな、て思うけど比べてるのかな。娘はダンスが好きなので、コロナが開けたらキッズダンススクールの見学に行こうと思います。仕事はどーするの、とかはそのあとです。いいところを見つけて、そこから考えます。そこありきです。
正社員で働いてるのに、幼稚園に通わせてるってすごいね、とかその選択がそもそもすごいとか言われます。たしかに、そうなのかもしれないけれど、幼稚園がいい(どこかあるはず)そう思って動いていたら、あるんですよね。
できる前提とできない前提。
そのどちらで自分が動いてるか。
結果=事実、ではなく、前提が事実になる。そんな感じがするんです。
自分自身の生き方、人生は回りくどく楽しんできたけれど、娘に対する育て方、方針に基本的に迷いはありません。たまに比べたり、親に怒られたりしたら、やっぱりダメなのかな、て思うけど、どう回っても結局、「私はこうしたい」(自由にさせたい、制限しない)に返ってくるから、そうなんだと思う。
自由にさせたい、制限しないは、逆に自由じゃないし、制限がかかってる、と友達に言われました。自由にさせたい方針が、こだわりになってしまってると。
そうかもですね。だから、私はこうしたいけど、結果はどっちでもいい。それくらいで、いいんだと思うし、私もスーパーに行って娘にお菓子は一つだよ、と今日も言ったし、何が自由なのかと厳密に言えません。だけど、私の中では確実に「子育てのやりたい方向性」は見えていて、その通りにできる時、できない時、迷う時もある、というだけです。
これって人生だよね?
子育てに限らず。
きっと私自身の生き方にも、その方針はあって、見えなくなっているだけなんだろうな、と。娘を育てるように、自分も育てたらいいんではないかと。そう思ったのです。
娘が幼稚園をでて、これまでの食べ物は、
セブンティーンアイス(駅から家につくまでに食べ終わる)
アンパンマンチョコレート、マーブルチョコ、
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産んでしまいました、王女さま/自由な子育てのジレンマ
「堂々としているね」1歳でベビーカーに乗っていても、2歳で同年代の子と遊んでいても、3歳で知らない人がたくさんいる場所に行っても、娘はそう…
ありがとうございます! ひきつづき、情熱をもって執筆がんばりますね!