後ろ姿では、わからない。性別も、どっちだっていいじゃない、と思いたい。
男の子かな、女の子かな。
あ、いま動いた。
こんな気持ちや会話ができるのも、フツーの幸せなのかな。
遠くから眺めていた、憧れの人がフツーの幸せを求めて離婚すると知って、力が抜けた。
なんだ、私、持ってるやん。
結婚相手の子ども、フツーよりちょっとかわいくて、賢い娘、仕事、正社員、ボーナス、夏の旅行、美味しいごはん、気遣いのある親戚、なんの問題もなく、育まれている命。
なんの問題もない。
そんなことに気づかなかった、気付こうとしなかったのは、当たり前だから。フツーが普通だから、普通がダメな風潮に乗っかってダメ出しをしていた。その方がかっこいいから。
自らの手にあるものを見て、ないものを感じる。
男女のきょうだいがフツーだったから、次の子の性別をこんなにも気にするなんて、ね。「なんでだろう、健康に生まれてくること、授かったことだけでしあわせなはずだったのに」
主人の答えは、
「ないものねだりでしょ」
そうね、人はそうね。動物はちがうのかな。
ないものねだりを否定しないことにする。もう、これは本能なの。仕方のないことなの。人はそうやって、できている。
欲望を押し込めずに、気づいたら空に投げる。願う、とも言うね。そんな重くないよ、人の欲は。
ない、できない、ダメとなかったことにしようとするから重くなる。逆にね。
両手をあげてアピールすることでもないけれど、あなたが今、持っているものは当たり前だから、フツーだから、それをじわっと感じていたら、それが幸せなんだ。
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