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小学生の息子と自由研究をして気づいたこと

息子は現在小学1年生。
人生初めての夏休みが、まもなく終了する。
宿題も全て終わらせ、後は限られた夏を楽しむのみだ。(畜生、台風め…)
しかし、最後の最後まで手こずった宿題があった。
それは「自由研究」だ。


初めての自由研究に挑戦

読書感想文と同じくらい難易度が高い宿題、それが自由研究。
作品の完成には、構成を考える、準備物を把握する、器具を適切に取り扱う、文章を書くなど、あらゆる能力が必要だ。
超ハードルが高いにもかかわらず、全国の小学校で、なぜこれを夏休みに課すのか、僕はあまり理解できない…。
うちの小学校では、自由選択(やってもいい・やらなくてもいい)になっているが、息子にやるかどうか聞いてみたところ、
「そりゃやるに決まっているよ!」
と強気な返事があったので、取り組んでみることにした。
加えて、僕も一応理科教員だし、プライドを守るためにもやってみようか。

ではこれから、小学1年生の息子と一緒に自由研究に取り組んだ結果をまとめてみたい。
各トピックには難易度を表記し、自由研究を進めていくうえで僕が気づいたこと、特に面白かったところや難しかったところを書いていく。

テーマ設定(難易度★☆☆)

そもそも、動機がなければテーマが決まらない。
これは日頃の対話からテーマを決めることができる。
特に小学校低学年であれば、社会や自然のあらゆる事象について
「なんでなの?」
「どうなっているの?」
と、疑問に思ったことをよく口にする年頃である。
ここにチャンスがある!

息子の場合は「ミドリムシってなんなの?」という疑問からテーマを設定。
ミドリムシ以外にも、見たことない他の生物は沢山いたはずなのに…。
まぁ本人が気にしているのであれば、なんでもいいや。
僕は簡単に説明して、その後に「一緒に探してみるか?」と答え、息子はテンション急上昇!
タイトルは『ミドリムシにあいたい』に決定した。
ちなみに小学校低学年であれば「タイトル」という概念もないので、ここから説明が必要だった。
「お話の題名」と言えば、納得してくれた。

実験方法と結果(難易度★★☆)

小学1年生だと、実験方法が思いつかない上に、どうすれば目的を果たすことができるのか、ロードマップを描くことができない。
今回の「ミドリムシ」も、どうすればミドリムシに出会えるのか全く知らないのだ。
そのため、実験方法を考える(調べる)ときは、大人の伴走が必要となる。
目的を果たすために準備すること、調べること、実証することを大人が嚙み砕き、簡単に子どもに翻訳することで、取り組む作業が明確になる。

インターネットを使うと、簡単に実験方法を調べることができる。
ただ、それだと答えありきの自由研究になってしまうことがある。
余裕がある場合は、調べずに「たぶんこうなる」みたいな仮説を設定して方法を1から考えてみてもいい。
僕の家は水田に囲まれていたので、「田んぼの用水路の水の中にたぶんいるだろう」くらいのテンションでミドリムシを探しに出かけた。
近所から試料を採取したり、地域性を活かすと、趣があっておすすめ。

また小学生は経験値が低いので、危険なことを理解していない場合もある。
理科実験を行う場合は、絶対に事故を起こさないよう安全を徹底して行う。
中には、炎や熱湯や太陽光、アルコールや塩素やクエン酸を使用するケースもあるので、大人も事前に危険な箇所を確認しておきたい。

あとは準備物とその費用。
材料や器具の準備にお金がかかることも多いので、そこはできる限り親が頑張ってあげたい。
だいたいは100円ショップやホームセンターですべて安価に賄えるはず。
高価な器具(顕微鏡や望遠鏡)を使いたい場合は、教員の勤務時間内に学校で使わせてくれる、もしくは借りられることもある。
(※但し教員の付き添いが必要でめちゃくちゃ嫌な顔されるかも…)
やっぱり小学生が自分だけで準備するには限界があるので。
その点、学校から配布された一人一台PCを使って検索できる点は、昔じゃ考えられないほど利便性が向上したね。

では実験方法に従い取り組んでみよう。
自由研究中、実験に取り組んでいるときが、一番いい顔をしていた。
息子は、ミドリムシこそ発見することができなかったものの、近くの水田から採取した水から「ボルボックス」という緑藻の微生物を見つけたときは、もう飛び跳ねて大はしゃぎして喜んでいた。
息子が好奇心にあふれ喜んでいる姿を見て、親として素直に嬉しかった。
あの顔は、きっとゲームやおもちゃではつくりだせないだろう。

ボルボックス Volvox

考察(難易度★☆☆)

「考察しろ」と言われると、堅苦しくて難しい印象を受ける。
しかし考察なんて、結局は「何を感じて、何を考えたか」だけだ。
論理的な考察を書くよりも、自由な発想で感想や展望を書いてもらった方が楽しいと思い、これも対話しながらまとめた。
「どんな生き物が見つかった?」
「生き物を見つけたときはどんな気分だった?」
「次やるときはどんな工夫をしたらいい?」
この回答が、十分に考察となる。

そもそも小学生の自由研究なんだから、模範解答に寄せた考察に着地しなくても全然いいと思う。
むしろ、実験を通して感じたこと、面白かったこと、工夫したいことを、友達に教える感覚で好きなようにまとめた方が、本人も充実するはずだ。
対話したことを、ひたすら文字に起こして記録した。
それをつなげて文章にすれば、考察が完了だ。

模造紙にまとめる(難易度★★★)

一連の研究内容を模造紙に書く作業。
これが絶対一番難易度が高い。
タイトルから始まり、動機、準備、実験方法、結果、考察をすべて文字に起こさなければならない。そうなると、小学生はめちゃくちゃ弱い。
高学年ならまだしも、低学年なんて文章をまともに書いたことがない。
ちなみに小学校1年生の国語は、1学期で『「お」と「を」の違い』や、『「しや」と「しゃ」』の違いを学んだ。
カタカナは習い始めているが、漢字は習っていない。
だからここは大人が巻き取らなければ、レポートは完成しない。

また小学生の書く文字は、大人が冷静に見ると、普通に汚い。
当たり前だが、本人は汚く書こうと思って書いているわけではなく、本当に一生懸命に文字を書いている。
こうなる理由は単純で、文字を書く経験が大人と比較して圧倒的に少ないこと、そして読んでもらうつもりで文章を書いたことがないことである。

そこで文章を書くためには、下書きが必要となってくる。
親が文章をすべて鉛筆で書き起こすのだ。
なお、ここも注意点がある。
子どもは下書き通りに文字をなぞる。
つまり文字に余計な筆跡があると、その箇所もなぞってしまうのだ。
本当にそのままの通り、はねやはらいも再現されてしまうので、丁寧に書かなければ誤字となる。
僕は急いで下書きしてしまった箇所もあり、そのままマーカーでなぞられたところは、見たことのない象形文字がいくつかあった。
当たり前だが、文章を読みながら文字をなぞっているはずがない。

さぁ、ここからが体力勝負だ。
永遠と文字をなぞる作業。ただひたすらマーカーでなぞる。
ちなみに模造紙のマス目は、1枚につき縦18マス×横17マス。
なんと1枚に306字も書けちゃうのだ。
しかも普段よりもはるかに大きな文字で書く。
本当に大変そうだった。
1枚書くだけで、もう日が暮れてしまいそう…。
休憩をはさみながらも、1日に2ページのペースで清書した。

なんとか完成したとき、息子は既に上半身が裸になっていた。
まるで芸術家のような姿に、感動すら覚えた。
自由研究の完成には、根性が必要ということだ。

なぞり終えると写真を貼付して完成!

自由研究をして気づいたこと

難易度高すぎ問題

子どものポテンシャルは底知れない。
理科を習っていないにもかかわらず、自由研究の完成に貪欲になれたのは、眠っている好奇心を煽ることができたからだと思う。

つまり、完成には大人の力が絶対に必要だということだ。

「お前の自由研究、お父さんと一緒にやってズルいぞ」
きっと学校では、そう言われているだろうな。
でも僕からはっきり言おう。

んなこと、当たり前だ!こんなの1人でできるわけねーだろ!

大人と一緒じゃなければ、自由研究なんて絶対に完成しない。
ましてや小学校1年生なんて、文字を書くことから始まり、日本語の使い方、自由研究の過程、実験にかかる費用など、全く何も知らないのだ。
そんな状態で、自由研究に挑戦できるはずがない。

小学校で課す宿題ではない

宿題で課すということは、必ず目的がある。
授業外での学習機会を増やし、学力向上を促進することだ。
では、自由研究はどうだろうか?
一般的には以下のような具体目的があるが、一つひとつ確認していく。

・授業で定着しない部分を補う
 → × 授業で学習した内容ではない
・家庭での学習習慣をつける
 → × ほかの宿題はすべて早々に終了させている
・考える力・表現する力をつける
 → △ 考える力も表現する力も大人の伴走が必要
・ひとりひとりの理解度の確認
 → × 自由研究自体が希望
・前もって授業の準備をする
 → × 授業で学習する内容ではない
・課題解決力や思考力を高める
 → 〇 目的を果たすために取り組んだ経験は価値になる

以上である。
つまり、自由研究は学校の宿題としての目的を果たすことが困難である。
自由研究に取り組むには、とても難易度が高く、学校が課す宿題ではない。
なので、自由研究はあくまでも「自由選択」にするべきである、というのが僕の考えである。
自治体や学校によるが、これを必須にすること自体が不合理である。

ただし、取り組むのであれば夏休み期間中というのは適切である。
研究にまとまった時間や期間が必要な場合が多く、連続的に観察や調査するにはちょうどいい。
同時に、生物が盛んに活動する季節でもあるため、とても好都合だ。
また、夏休み期間に博物館や科学館が自由研究のテーマ設定をサポートしてくれることもあり、社会教育の力も借りられる点が嬉しい。

家庭の協力なくして、学習の定着はなし

息子の自由研究を一緒に取り組んでみたところ、予想以上に大変だった。
完成するには膨大な時間と労力と、あとはとことん息子に付きあう根性が必要だからだ。
しかし、一方で代えがたい充実感も得られた。
先述のとおり、あんなに喜んだ息子の顔は、今まで僕は見たことがない。
実家に帰省したときなんか、うちの母親に対して自信満々に
「ぼく、ボルボックス見つけたから!(ドヤッ)」
と鼻を高くしていた。
そんな様子を見せていたので、親としても正直嬉しかった。

自由研究の完成には、家庭の協力なしではあり得ないということだ。

きっとこれは、今回の自由研究だけではなく、普段の宿題もそうだろう。
学習のきっかけは、普段は学校が与えてくれる。
しかし内容を定着したり、さらに課題を掘り下げたりするには、家庭における子どもとの対話や観察や分析が必要になる。

今回の自由研究でそんな気付きを得られた。

つまり、家庭の協力なくして、学習の定着はなしということだ。
我が子の学力は、学校以上に家庭に責任がある。

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