見出し画像

子どもにお年玉を使わせないと、子どもがアホになる

30年前の母親に、僕は言いたい。
「ちょっとくらいお年玉を使わせてやれよ」
結果、僕はお年玉を1円も使わず大人になった。

一方で、息子はこのお正月にお年玉を使った。
欲しいものを購入して、幸先のいい2025年を始めた。


お年玉を「貯金する」という危ない方針

「冬休みは楽しいことがたくさんあるね!」
学校でもテレビ番組でも、大人は口をそろえてこう言う。
しかし小学生の頃、僕は頷けなかった。
クリスマスはわかる、ほしい玩具をくれるから。
でもお正月が楽しみという感覚は一切なかった。
理由は簡単で、「お年玉が使えなかった」からだ。

冷静に考えて、お年玉ってすごくない?
だってお金くれるんだよ!?
身内や親戚というだけで。
そんなことあり得なくない!?
ビッグボーナスが過ぎるよ。
人にもよるが、金額はだいたい数万円。
多くの方から頂き、皆様に本当に感謝してます。

問題はここから。
じゃあ、そのもらったお金、どうするの?
管理が親に委ねられる以上、その方針も親に依存する。
おそらく「貯金」というのが無難であり一般的ではないだろうか。
しかし、これが最も危ない方針であると僕は思う。

買わせてくれなかったミニ四駆

30年ほど昔の話。
小学生の僕は、大金の管理が面倒だからという点だけで、頂いたお年玉をすべて母親に預けた。
正確に言うと、「お年玉もらう→母親に渡す」という流れが完成していた。
でもお金の価値を分かり始めた頃だったので、欲しい物を買える手段であることも理解していた。
当時、全盛期だったミニ四駆(フルカウルシリーズ)を買いたいとひそかに思っていた。

なつかしすぎてあの頃に帰りたい。(画像はHP引用)

僕のお金だもんね。ちょっとくらいはいいよね。
そう思い、母に交渉する。

「お年玉でミニ四駆買いたいな!」

予想とは真逆の答えが返ってくる。

「ダメよ〜貯金しないと」

呆気なく一蹴されてしまった。
ここから僕は、お年玉を1円も使えない縛りの人生がスタートした。

ミニ四駆がほしいときも。
ポケモンカード(旧裏)がほしいときも。
ポケットモンスター金・銀がほしいときも。
「ダメよ〜貯金しないと」
この一言で、すべてが無になる。

内心思った。
「 (お、おめぇのお金じゃねーだろがよおおおおぉぉぉぉ!!!) 」

こんな顔してたと思うよ。
(北斗の拳 第2話 怒り天を衝く時!の巻)

ちなみに今となってはこれもネタになり、母親と正月に会うときは必ず盛り上がる。

お年玉は、貯金するもの。
お年玉は、今は使わないもの。
僕を縛り付けた呪いによって、いつからか不思議とお年玉が全く楽しみでなくなった。

親戚の前でお年玉をもらう瞬間だけ、
「ありがとうございます。将来のために大切にします!」
と適当なことを言って、愛想笑いをする可愛くない小学生が、本心は全く感謝の意をもっていない。

どうせ母親に没収されて、全て銀行口座に貯金されるんだから…。

これが15年くらい続いた。
結局、その貯金が僕の口座に入ったものの、通帳を渡されたのは大学生になってからだった。
バイトで稼いだお金も、これまで十数年間蓄えてきたお年玉も、仕送り、交通費、そのほか諸々すべてがごちゃ混ぜになり、お年玉の存在意義が霞んでいった。
どんな使い方になったのかは全く覚えてないし、混ざることによってほとんど印象に残らなかった。
たぶん大学の授業で使う教科書や実験器具、旅行や生活資金に充てたのだろう。

もちろんお金として機能したことは間違いないが、お年玉の有難みや楽しみを感じることなく、ついに僕は大人になっていた。
別にお金の価値がわからない大人になったわけじゃないけれど、少なくともお年玉を楽しめた大人よりはアホになってしまった。

お年玉を使える喜びを感じてほしい

そもそもの話、なぜ子どものお金を預かって、有無を言わせず貯金させるの?
お年玉の所有者は、子どもだよ?
これじゃまるで、子どものお金の使い道を勝手に決める親と同じじゃん!
いっしょに考えないと、子どもがアホになるよ。
お年玉をどうするのか、まずは子どもと相談するのが筋でしょう。

だから僕は、自分の子どもに同じ経験をしてほしくないので、お年玉を使わせることにした。
とはいえ、いきなり数万円の大金を子どもに渡すのは、確かに危険すぎる。
ゲームの課金や無駄遣い、紛失や盗難の危険性だって大いにありえる。

だったら、楽しめる分だけ渡してみたらどうだろう?
僕は妻と息子と3人で相談し、結論3,000円の使用許可を与えた。
すると彼のテンションは爆上がり!

「えー!? 3,000円も使っていいの!? 何買ってもいいの!? よっしゃー!」

小学1年生にとって、3,000円は大金だ。
普段、駄菓子屋やゲームセンターで使っている金額とは桁が違う。
こんな大金を自由に使えるなんて、きっと夢のようだろう。
お年玉を握りしめ、近所のAEONへ行く。
トイザらスで30分くらい店内をウロウロした結果、ポケモンカードのスタートデッキとスーパーマリオのアスレチックゲームを購入していた。
小さい財布から大金を出して、商品とお釣りをもらう。
あのやり取りは、「はじめてのおつかい」さながらであった。

欲しいものを自ら買えた充実感からか、毎日のように
「お年玉で好きなもの買えてよかった〜」
と言っている。
お陰で、来年もお正月を楽しみだそうだ。

羨ましいぜ。
僕も、息子のようなお正月を過ごしたかった。

お金の価値は今しかない

よく言われることだけど、お金の価値は今と将来じゃ全然違う。
ここではインフレとか資産運用とか、金融の話ではなく、同じ金額でも子どもと大人ではその価値に大きな違いがあるということ。
子どもよりと大人の方が、圧倒的に経済力も高く、同時に消費量も大きい。
だから3,000円の価値は、はるかに子どもの方が高く感じるだろう。

お金の価値は、子どものうちの"今"が最も高い。
もちろん将来のために貯金することは悪いことじゃないし、貯めて大金を使う目的があるのであれば、それも賛成である。
しかし、目的がないのに貯金をするのは本当に子どものためなのか、一度考え直したい。

少しでもお年玉の楽しみや、お金の有難みを感じてくれるのであれば、お年玉の3,000円なんて安いもんだろう。
この金銭価値はときっと大人になっても大切にしてくれるはず。

ちなみに購入したポケモンカードのデッキだが、僕と対戦した結果、惨敗して大泣きしてしまった。
今では「あのデッキちょっと弱い」と文句を言ってる始末。
買ったものも大切にしてくれると、もっと嬉しいのだが。

いいなと思ったら応援しよう!