溶け込む福面の”日常”
2月の風、細く張り詰めた無数の糸さながら
空気を濃く沈んだ灰色のコンクリートと水平に刺して、
急ぎ足の人影をすり抜けて編まれてゆく。
東京の冬、太陽がまだ真上に登りきらない中途な時間、
空気の走りが細胞のひと部屋ひと部屋をトンと叩いて去ってゆく。
縫うように触れてゆく肌にあたるそれが心地よい。
思わず口と鼻を覆うために両耳に紐をかけて充てがった布を
その表面が乾いた冷たい右手ですっと下に引き降ろす。
肌にさわさわと触るその化学繊維は
いつからかしごく論なく人の顔を覆った。
もう、3年になる。
今日の記憶の重なりの一番上に積み上げられたほどの先ほど、
真っ暗にした見慣れた部屋を背にして
玄関先の四角く茶色いアンティーク調の靴箱の上に
いつの間にか当然だとでもいうように居座る、
口を覆う不織布の入った籠が頭によぎった。
いつからあれはそこにいたか。
古びたそれの中からお気に入りの、先の丸く刺繍の入った茶色の皮の靴を
取り出しながら、無意識のうちに新しい白く、あまりにも人工的な白を纏う
その長方形に2つの輪がつけられたそれを手にとって扉を開けた。
閉ざされた空間から取っ手を握って下に、少し左下に押し回す。
扉が開いて、冬の空をみた。
頭によぎる出勤の前のあの振る舞いは
なんの変哲もない日常だったと思い返す。
風の手触りを気息のうちに感じたくて
つい先ほど引き下ろした異様に白い布の存在を意識する。
なんの変哲もない日常になったのはいつからだろうか。
江戸の頃は”福面”と呼ばれていたらしいそれは、
いつのまにか私たちの令和の日常に溶け込んでいった。
遷り変わりは親指と中の指を擦らせて音をはじきだす瞬間のように
たちどころに現れることはない。
意識にのぼらぬうちに溶け込む異なるものは
気付けばわたしたちの変化になりかわる。
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