樋口円香を解釈したい、言語化したい、したくない。
こんにちは。お世話になります。きなこもちです。
note初投稿なのでお手柔らかにお願いします。
はじめに申し上げると、自分語り注意です
今回はシャニマスについて、担当のノクチルや樋口円香さんのコミュを読んでいるときに考えていることを、一部頑張って言語化していきたいと思います。自己表現が得意なタイプではないので相当に頑張っていると予防線を張っておくよ…。
円香についてなにか発見をしたとかではなく、単純な自分語りになります。なんか面倒くさいところでぐちゃぐちゃになっているということが伝わればと。
多分読んでいるうちに「しゃらくせえわ!!!!」となりますが、お付き合いいただける方は是非に。
1. 「消費」したくないけど、するしかない
当たり前ですが、私達はバンナムのお客さんで消費者です。ですがアイマスに没頭し、283プロのアイドルたちに触れている間はプロデューサーという身内のような立場を与えられます。
私は自分のことをシャニPと重ねてはいませんが、少なくとも肩書として283プロのプロデューサーであるという姿勢で背筋を伸ばしたいと考えています。アイドルに恥ずかしい自分は見せられないからね。
ノクチルコミュの割と主たる部分で、彼女たちを「商品」とする言及があります。
自身がプロデューサーであるなら、彼女たちが「商品」であることは事実としてそうでしょう。売り出しているわけですから。
しかし、シャニPは「そういうことじゃない」とこぼします。
コミュを読んでいる間、アイドルのことを考える間、私もシャニPと同じ想いを持っているし、「いい顔だなぁー」みたいな表情をしていると思います。アイドルとして以前に、一人の人間を支えたいという想いや使命感、責任感が湧いてくる、それが私の感じるアイマスの面白いところです。
また円香の個人コミュでは色々な場面で刹那的な美しさや「消費」に対する彼女の価値観が見ることができます。
上に記したLPの科白はこのあと否定されますが、自戒のように心に置いています。
このようにコミュにのめり込むほど、彼女たちにのめり込むほど、ただ「消費」していくことに後ろめたくなっているのかなと思います。
視点変わって現実世界です。本項目冒頭に述べたように私達はプロデューサーであると同時に消費者であることになります。
良いと思ったガシャを回し、グッズを買い、客席でペンライトを振る。シャニマスには、ここ数年でその楽しみを教えてもらいました。
ですがこの行動は「商品」として「消費」していることに他ならないですよね。そこに矛盾を感じてしまっています。
だからせめて彼女たちにできるだけ誠実に向き合いたい、そう思っています。
下はザ・消費。ノーコメント。
2. 「解釈する」って失礼じゃない?
これは完全に持論で戯言なので聞き流してください。また、他の人に対してそんなことは思っていないという前置きをさせてください。
生きている人に対して「解釈する」って、失礼というか傲慢じゃない?なんか…「完全に理解した」みたいな…。
とはいえ私達がなにかメッセージを受け取り、咀嚼する時点で自分の思考が混じってしまうわけで、「解釈する」ことでしか理解を進めることができないんですよね。
だからこそ「解釈する」自分を許して、「理解したい」と思い続ける気持ちを忘れないようにしたい。
3. ノクチルを言語化することへの違和感
ノクチルには他者が言語化することに対するアンチテーゼ的な要素があると思っています。言葉にして、何かを定義して、形を付けてしまう、そのことへの反抗があるような気がしています。
じゃあ私はどうやって表現するの?となると「エモい」とか「眩しい青春」のような、陳腐になってしまいます。
これについては言葉に出たものではなくて、心で感じたことを正とすることにしています。言葉という器がない分強度が出ないのですが。
言葉や形でいうと、彼女たち4人には名前がつく前から幼馴染として形がありました。
それにあとから「ノクチル」という名前と器を与えたことは、罪とまでは言わなくても責任があるように思います。それに対してシャニPは責任感のようなものを見せますし、私もそこに感情移入しています。
そんな中行き止まりの自由で、透がノクチルを表す自由律俳句に「ノクチル」を選んだのは少し報われたような気分になりましたね。
4. コンプレックス
上までの項目で散々なにかを解釈すること、言葉にすることにネガティブなことを書いてきましたが、やはりアウトプットのできる周りのオタクをすごくリスペクトしています。
回答のないものを探求しているわけですから、相当な労力がいると思いますし、何より目の付け方や気づき方、言語化能力の高さを尊敬します。
私はかなり負けず嫌いな性格なので、正直嫉妬する時すらありますね。何もしてないくせにお前は何を言っているんだ。
先日のChapter283で同じような話をした際に、「コンプレックスなんですね」と言ってもらいました。なんかすごく腑に落ちる感覚がありました。はっきり言われると、たくさんのコンプレックスがある気がします。
本来感じる必要のないコンプレックスに苛まされるのは、円香に共感できる部分なのかもしれないです(おこがましいとは思わんかね)。
円香はなんでも卒なくこなしてくれますが、美しいもの、正しいものに強うこだわりがあって、そうありたいという思いがコンプレックスになっているように思います。
私の場合は円香にとっての透のような、強烈なものはないですが、どこかに正解があって、それに達することの使命感、達することのできない焦りは常にどこかにつきまとっています。
※こういう晒し方するの割ともにょったけど、わからない人向けにわかりやすいヤツ置いておきます。
5. 折り合いをつけようとする私と樋口円香
ここまで矛盾を見つめてきました。これ以外にもたくさんあります。特に円香に対してはたくさんの矛盾を抱えたクソデカ感情を持っています。そのすべてを吐き出したらきっとプロデューサーは名乗れませんね。
ここまで書いて、ネガティブな内容になってしまったなと思います。自分が見ても「そこまで深く考えなくても良くない…?」と思いますし、実際は常にこんなこと考えているわけじゃないです。
理想と現実に乖離があることは生きていればあることですし、そのあたりは折り合いをつけています。
つけってしまっています。そのほうが楽なので。
ですが樋口円香は理想、正しさに対して折り合いをつけられていません。私の思う彼女の魅力に、大人びたリアリストのように見えて、ロマンチストで青さがあって、衝動を持っていることが挙げられます。
この青さと現実が摩擦を起こして痛みを生むのが、コミュの面白いところであり、彼女の一助になりたいという想いの根拠になるんでしょう。
苦しんで欲しくはないけれど、折り合いをつける必要なんてない。彼女がこれからどうその正しさと向き合っていくか、見守っていきたいですね。
逆に、折り合いをつけるといった選択も受け入れてあげたいです。その時は諦める勇気が持てるまでは側にいるし、一緒に大泣きします。諦めることは踏み出すことなので。
おわりに
結局、話題が変わり過ぎてめちゃくちゃな文章になっていしまいましたね。申し訳ないです。
最近身内のオタクから「思想が強くて面倒くさい」とか「コミュの話をしている時が早口すぎる」と言われ、一度突き抜けて見ようかなと思い書いてみました。
この調子で宣言通りすべてのオタクを薙ぎ倒していこう。
まあ私の場合「思想」なんて大層なものじゃなくて、単に頑固者なだけなんだと思います。
面倒くさいのはその通りです。頼むから見捨てないでね……。
さて本日10月27日は樋口円香さんの誕生日ですね!!!!!!!!!!
国民の義務なので全力でお祝いしましょう。
以上、氷河期氷河期