#5 正しい世界
何がきっかけなのか、自分でもわからない。
ある朝起きたら私の身体は、しまい忘れたアイスクリームのようにドロドロと溶けかかっていた。辛うじて真ん中の方は人間であったときの形をしているが、外側は溶けていてほぼ液体になっている。
どうしてこうなってしまったのだろう。
ぼんやりとした頭で考えてみるも、答えなど出るはずもない。
昨日の夜はいつも通り22時35分には寝室へ向かった。おろしたての綿のパジャマに袖を通し、昼間太陽に当てておいた寝具へ身体を横たえる。心地よい眠気に身を委ね目を閉じた。微睡みの中、2週間前に言われた彼の言葉が唐突に思い出された。
「君の生き方はまるで、ガムを噛み続けることがどんな尊厳の中でも一番正しい行為だと思っているかのようだ」
不快感がみぞおちの辺りに広がる。
私はその日モヤモヤとした気持ちを抱えていた。朝から飼い犬のことで町内会長に嫌味を言われたり、朝食用のパンを切らしていたり、右手人差し指の爪が欠けてしまったりしたからだ。そんな気持ちを抱えたまま、彼とランチへ行きドライブを楽しんだ。目的地へ到着し、二人で並んで景色を眺めていたとき、おもむろに彼の口が開いた。
「君の生き方はまるで、ガムを噛み続けることがどんな尊厳の中でも一番正しい行為だと思っているかのようだ」
「·····何が言いたいの?」
「·····いや、何でもない。そろそろ帰ろう。」
私には彼の言葉の意味がわからなかった。
何故彼にそんなことを言われたのか。何故このタイミングなのか。
彼の車で家の前まで送ってもらい、さよならをした。その後も変わらず彼とは連絡をとっている。二人ともあの言葉については話題に出さない。こんなことになるのなら聞いておけばよかった。きっとあの言葉の真意についてはこれからも彼にしかわからないのだ。きっと、私にはわからない。
時間が経つにつれて、私の身体の溶けだすスピードが速くなってきた。このまま全て溶けたら私はいなくなってしまうのだろうか。それとも思考だけで生きる何かになるのだろうか。
目の前の部屋の白い天井が遠く感じる。
私はそっと瞼(であろう部分)を閉じ、意識を手放した。
きなこ
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