普通で退屈な家族がほしかった
息子に発達障害の疑いがあると言われたとき、わたしの頭のなかには「やはり」と「またか」と「なんで」がぐるぐるとめぐった。
「またか」というのは、わたしの兄が軽度の知的障害を持っているからだ。世の中のみなさんには障がい者に優しくしてほしいと心から願う。しかし、誤解を恐れず言うならば、わたしは障がい者とはもういっさい関わりのない人生を送りたいと思い続けていた。障害を持つ兄とは冠婚葬祭くらいでしか会うことはない。毎日のように届いたメールにうんざりし新しい連絡先は教えていないし、つながってしまったSNSもすべてブロックした。わずらわしい田舎から、小さすぎる社会から、あの家族から逃げて逃げて、わたしはようやく心から安らげる自分の家族を手に入れたのだ。
「普通」の家族がほしかった。健常児が生まれる可能性がまだ高い20代のうちに出産したかった。今思うとなんでそこまで・・という20代の頃の強い結婚願望はそこからきていた。
いざ30歳を前に結婚をすると、子どもが欲しい気持ちと、障がい者だったらどうしようという気持ちが同時に湧いた。わたしの子どもが障害を持つ可能性は高いのではないか。
養子という選択肢を考えたりもしたが、最終的には覚悟半分と運任せ半分で子どもを持つことを決めていた。子どもが発達障害の疑いと言われて出た「やはり」という気持ちはこれがもとになっている。
ある程度は覚悟があったはずだし、健常者しかいない家庭で育った人と比べれば知識や経験も多少はあるだろう。だけど、正直、もう勘弁してほしかった。普通で退屈な家族としあわせな毎日をおくりたかった。
何年も蓋をしていたのだが、息子の”発達障害の疑い”から、今まで思い出すこともなかったような、過去のいろいろな感情が込み上げてきた。もう一度、向き合うしかないなと覚悟をきめることにする。
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