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【マレーシア親子留学】「いつも楽しそうである」という才能に気づいた話

こんにちは、子どもと2人で親子留学中のさんかくです。

最近ふと子どものことで、大切なことに気づいた気がして、忘れないように書きとめておきたいと思います。
もしかしたら、我が子自慢な内容になるかもしれませんが、自分の心に正直に。今日はそんなnoteです。


才能って、人より秀でていることだと思ってた

私、今まで子どもに限らず、人の才能って何かに人より秀でていることだと思ってました。算数が得意とか、絵が上手とか、サッカーやピアノがうまいとか。

それに対して、うちの子はあんまりピカッと光るものがないのかもしれないな、と思ってました。

我が子は、いい子ではあるけど、年齢相応の普通の子。決してスーパーキッズではなく、小学校で英検1級や2級とっちゃうような秀才、天才タイプではないな、と。

英語は言語なんで、時間かければある程度誰でもできるようになるし、海外にいるから多少はできるけど、それも同学年の日本人と比べてという話で、年齢があがれば、上には上がでてくるだろうなぁ、とも。

「何かキラッと光る才能」を子どもの中に見つけて、それをサポートするのも親の仕事なんだろうな、とも思ってました。子ども自身が「これやりたい」という情熱をもてることや、「これが好き」「得意」というようなことが見つかるといいな、と今でも思ってますし、子ども自身がそういうものを見つけられたら、親はそれを応援するだけです。

そして、そういうものをすでに見つけた子どもや家族(親)はいいなぁと、正直今でもうらやましく思います。

でも我が家に関しては、子どもが10歳になり、子どもの年齢があがっても、そういう「何か」は特に見つからず、子どもに対して、いい表現じゃないですが、ちょっとずつ色々、諦めている気分になってました。

「いつも楽しそうである」という才能

ずっとそんな風に思っていたし、マレーシアに教育移住した理由に「何か人とは違うもの」を子どもに経験させてやりたい=人とは違う人になってほしい、という私の親としての想いも、実のところあったと思います。

でも、マレーシアに来た時、そして年末年始の一時帰国を超えてのマレーシア生活再開を経験して、うちの子の才能は「いつも楽しそうである」「ご機嫌である」ってことなんじゃないかな、とふと思いました。

そう、うちの子はなぜかいつも楽しそう、幸せそうなんです。

日本にいたときは、中学受験にまつわる塾など、勉強を強いられたり、タフな環境にいるわけでもない。女子で難しい年ごろだから、お友達関係も少しは色々あるのかもしれないけど、特に大きなトラブルもない。
毎日学校に楽しく通って、友だちと遊んで、そりゃ毎日ハッピーなはずだよね、とのんきに思ってました。

でも、英語環境だったり、知らない同級生ばかりのマレーシア生活をスタートさせた時も、この子は基本的にいつも楽しそうでした。

「日本人じゃないお友だちが欲しいけど、英語が伝わるか心配」と悩んだこともあったけど、自分から勇気を出して話しかけて、今では学校のことを話すと、当たり前のように海外のお友達の名前が出てくる、そういうところも、すごいなって、我が子ながら尊敬します。

「ごきげん」なところに、すごく助けられてる

そして、ふと、勉強ができたり、得意なスポーツがあったり、楽器ができたり、歌が上手だったり、そういう「何かができる」ということばかりが、才能だと思ってきたけど、この子の「いつも楽しそう、ごきげん」なところが、この子の才能なのかもしれない、と思うに至りました。

もちろん、努力家なところや、スポーツが好きなところ、元々良いところはたくさんあって、でもそれは、「良いところ」であって「才能」とは違うって、今まで思っていたなと。

大人でも自分のご機嫌を自分でとるのがむずかしいのに、「いつも楽しそう」というのは、結構得がたい才能なんじゃなかろうか、と気づくに至りました。
そして、この子の「いつも楽しそう」なところに、母子2人で留学している私が、毎日助けられているんじゃないかな、と感じました。

楽しそうな人に人は集まってくる

うちの子は「人たらしで誰でも友だちになっちゃいます」、というタイプではありませんが、生まれつき人が好きなんだろうなと、側で見ていて思います。

一方で、世の中には性格があう友だちと、あわない友だちがいて、あわない人とは無理に一緒にいない方がお互いに幸せ、ということは10歳にして早々に理解しているようで、一人でも細々としたことをして楽しく過ごせる、でも比較的新しい友だちをすぐ作れるところなんかは、すごくいいなと思います。

そして、人はやっぱり楽しそうにしている人に集まってくるもの、だとも思います。うちの子が、今までお友だち関係であまり悩まずにこれたのは、本人の「いつも楽しそうにしている」という性格?、才能?だったのかもしれません。

まとめ

正直、今でも、人より何かに秀でた「才能」「得意なこと」があった方が、世の中を生き抜く中では有利だろうと思っています。そして子どもの頃から、そういう才能が見えた方が、その芽を育てやすいんだろうな、とも。
側で見ている親としては、「この子、このままで大丈夫かな」と心配にもなりますしね。

でも、その子のありのままを受け入れるという意味で、「才能」って、勉強やスポーツなどの分かりやすいものだけじゃないのかもしれない、と気づけたのは私にとって良かったと思います。

それではまた!


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