愛されて、みそっかす
ハローハローハロー隣にいないけど
故郷の君を思い出していたよ ♪
あの曲を聞いたのは今から5年前の大学4回生の時パソコンルームで何気なしにYouTubeを見ていた時だった。
前から名前だけ聞いていた「ミソッカス」というバンドだった。
アメリカと中国と静岡という曲名に反して何だかいい曲だなと思って
気がついたら5時間の勉強が終わるまでずっとリピートしていた。
曲はとても綺麗なのに、ハードコアのような轟音がなんともミスマッチでありながら綺麗に調和していた。何だかヘンテコだけど、聴いていたら好きになっていた。
タイミングよくその年に初めて対バンをした。
メンツは確か、サックアストュルードライ、ラージハウスサティスファクション、クーランド、メメントモリ、そして自分たちだった。
会場は神戸太陽と虎。
当時、勢いがあり、「次くるバンド」と誰もがもが疑わないバンドの集まりだった。
太陽と虎の店長風次も「この日のバンドは絶対次くる奴らばっかりやから」と電話で誘ってくれたのを覚えている。
楽屋で初めてボーカルはるきちと話したのはバンド名の話だった。
「オーケストラって名前いいよね。俺もそうしたかったんだよ」とほんの少しなまった独特の話し方が印象的だった。
ミソッカスは確か三番目だったと思う。下手(ステージ向かって左)の一番前で見ていた。
とにかく音がすごかった。ドンシャリなのに声もしっかり聞こえるし、グおおおおっという、底からの気合がなんともロックよりもハードコアな感じがする。
はるきちの声が高くて、カラオケでは歌えないなーと思いながらずっと聴いていた。
MCはほとんどなく、前の曲の残音がまだ消え切らないところに、次の曲が始まり
ずっと30分近く畳み掛けられていた。
長くバンドを見ているとライブの仕方でそのバンドの人間性や方向性は理解できる。
あの畳み掛けかたは間違いなく、無駄なものを省いた攻めのスタイルだった。
打ち上げで風次が後から遅れて打ち上げ会場に入ろうとしていたが、サックアストュルードライ、ラージハウスサティスファクション、クーランド、メメントモリ、ミソッカスの新進気鋭のバンドマンの雰囲気に飲まれて、会場になかなか入りくそうにしているのを後ろから見ていた。自分達も遅れて入ったが打ち上げ自体は普通だった。
その年の暮れ頃に企画をやることになり、はるきちにすぐ声をかけた。
はじめ電話はつながらず、リターンがなければ諦めようと思っていた矢先、すぐに電話がかかってきて
結果出てくれることになった。
『かっこいい後輩の誘いは受ける』と言って
その後も何回か企画に出てくれたし、神戸でも対バンした。
アミューズからメジャーデビューしたミソッカスはその後も、大して売れてない自分たちのイベントに出てくれた。
ほんと感謝。
関西最大のチャリティーフェスのカミングコーベに4年連続出ていた自分たちは
ネコフェスにも2年連続でていて、その都度共演していたので、結構な数実は対バンしている。
ミソッカスのライブは演者で出ているときには必ず見にいって挨拶して
彼らが関西でライブするときや、私が東京に状況してから都内でライブがあるときは必ず足を運んだ。
そんなことを気がつけばするようになったバンドはミソッカスだけだ。
大阪のシャングリラでワンマンライブがあったときは、初めて伊勢丹に行って酒を試飲して選びラッピングもしてもらった。
そんなことをさせるミソッカスのメンバーの魅力は凄まじいものがある。
私にとってね。
ツイキャスにも出てもらったし、ミソフェスにも呼んでくれた。
しかも2年連続「演説」で笑
今回はこの前ミソフェスで演説した内容を少し盛り込もうと思う。
ミソッカスと文化の話だ。
その日の演説の内容を一言で言うと、バンド業界がどんどんロックな場所でなくなっている。
ということだ。
これははるきちとよく話したことだが、尖っている奴がいなくなってどんどんクリーンなロック界になっていると言う話だ。
その原因は分かりやすくて、客が尖った人間を受け入れなくなったから&いい人が音楽をやるようになったからだ。
一言で言うとロックはクリーンの真逆の概念に近い、自己主張と、一般常識とはずれた思想を鉄槌するところにそのロックは宿るからだ。
今日の社会は映画でもお笑いでもなんでもすぐ炎上する。最近だとAマッソが、金属バットがそんなこと芸の世界なんだから。一般常識で括らないでほしい
と言うよりそれを一般常識側に寄せると芸術やロックなんて無くなってしまう。
はるきちともその話をよくした。バンドのライブを見に来る人は普段は社会に属していてバンドマンも同じだ。
社会の風潮はそのままライブハウスに持ってこられ、街が禁煙になるとライブハウスは禁煙を始めた。何か不快な思いをすればSNSで拡散される。いいねが好きな人は自分が好きなバンドを見にいくと発信したいが、そのバンドのアンチの目が怖くて発信せず口コミという最大の宣伝効果はなくなり、尖ったバンドは客が減りどんどん排除されていく。とにかくバンド界は不祥事を起こした人を徹底的に叩き排除するSNSの世界とリンクしている。
そんな社会はそんなライブハウスの空気を作るから気が付けばロックバンドはいなくなりつつある。ロックは音の問題じゃない生き方の問題だ。
ロックは生き方だからだ。
ロックなバンドは常にロックな客の存在を必要とするのだ。
そのように考えると、みそっかすが、ミソッカス、みそっかすと名前を変えるという周りから見ればマイナーチェンジも、彼らなりのかなりの葛藤を表しているように見える。
当然、社会の煽りを受けているし、時代に生まれるとはそういうことだから、むしろその変わる時代の中で変わらない存在であり続けるために彼らは変わろうとしていたのだ。
哲学では常識だが、変わらないためには、変わり続ける必要がある。
もう少し分かりやすくいうと、死なないためには変わる必要がある。ということだ。
だからバンドは生き物なのだ。何もしてなかったら死ぬし、輝きを取り戻せない。
みそっかすというバンドはその変化の中でバンド名を変えてでも、自分たちのアイデンティティーを守ったり、時代とバランスを取るために多少の迎合をしたりととにかくもがいていた。メジャーではなくなったり、ノブリルが抜けるという変化が起きてもなおやり続けるのは彼らがまだ自分たちを失っていない証拠だった。
そんな彼らを比較的内側から見ていたから
ミソッカスの活動は人間の歴史を見ているような深みがあった。
そんな彼らの歴史がもうすぐ終わろうとしている。
でも、長く続いたものはなんでも
その終わりがもっとも美しい。
もう綺麗なミソッカスは一切見たくない。
ヨボヨボのおばあさんの美しさを、その輝きを最後に見れたらいいな。
はるきちの才能は憧れ続けることができるという才能。
その答えはいかに。
さぁて、アルバム作り最後の作業に取り掛かる。
はるきち兄貴が聴いて脳汁出るような音源にしたいからね。
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