目が悪い!
わたしはとにかく目が悪い。
どのくらい悪いかと言うと、
メガネやコンタクトレンズを使用している方にしか
わからないかもしれないが、
コンタクトレンズ度数 両眼 -12.0 を使用している。
近視があまりに進むと、
「視力2.0」とかでは表現できなくなる。
敢えていうなら視力0.01以下で、
眼鏡店にあるデジタルの測定器でしか測れない。
もちろんよくある視力測定のときの、
C → 右!みたいなのは、
全部見えないので不可能である。
目が良い方の想像のために例を挙げると、
プールにもぐり、ゴーグル無しで
水の中で目を開けた時の見え方が、
わたしの裸眼での世界の見え方である。
*
小学校5年生くらいからだったと思うが、
短期間でどんどん視力が落ちていくので
母は大きな病院での検査を申し込んだ。
埼京線十条駅からすぐの
帝京大学医学部附属病院だった。
いろいろと検査したであろうが、
わたしは当時のことを、なぜか全く覚えていない。
結局明確な原因はわからず、
成長期による仮性近視と結論づけられた。
しかしすぐに判明したが、
仮性などではなく、正真正銘の近視なのだった。
半年くらいで視力0.8から0.1以下に下がり、
小学校の視力検査のいちばん大きいCが
判別できなくなった。
授業中も黒板の文字が見えないので、
担任の先生は席をいちばん前にしてくれた。
弱視や病気などいろいろと心配だったが、
メガネをかければ見えるようになるので
そのような心配はないとのことだった。
*
現在ではレンズの薄型化が進化して、
超薄型非球面というレンズがあり、
強度数でもかなり薄くメガネを作れるようになったが
あの頃はまだコンタクトレンズも販売され始めで
かなり高価なもので、扱いも難しく
小学校高学年のわたしは
キテレツ大百科のベンゾーさんのような
牛乳瓶の底と呼ばれる分厚いメガネをかけて
思春期を過ごした。
中学に入ると部活が本格化し、
わたしはバドミントン部に入部したため
分厚いメガネではすこぶる動きにくかった。
なにしろ小さなコートの中を、
シャトルを追いかけ縦横無尽に動くのだ。
重たいメガネが吹っ飛ぶことも珍しくなくなり、
いよいよ練習に影響が出始めた。
当時ではそれはそれは高価な、
コンタクトレンズを買うことになった。
おそらく両眼で数万円したと思う。
さらに、消毒が専用機器による煮沸だったので、
機器と容器と溶液代もかかる。
今と比べると、その頃のコンタクトレンズは
厚くて装用感が悪かった。
消毒も、まず専用液を自分で作るところから。
生理食塩水に溶剤を混ぜて、レンズをこすり洗いし
容器に保存液を満たしてレンズを入れたら
煮沸用機器にセットして、コンセントに差す。
4時間ほど煮沸が必要で、超面倒くさかった。
だけど重たいメガネをかけるよりも視野が広がるし、
分厚いメガネで目が小さく見えていたことも
すごく嫌だったので、コンタクトレンズ万歳だった。
今更ながら、両親に感謝である。
おかげで、バドミントンの練習は
とてもやりやすくなり試合にもたくさん出場できた。
*
それからはずっと、コンタクトレンズ生活だった。
中学生当時は一枚を何年も(!)使うものだったが、
進化が進むにつれて「使い捨てコンタクト」という
何とも画期的な商品がでてきた。
一日あるいは規定日数使ったら、ゴミ箱にポイ!
なんてラクチン!
もう専用機器も煮沸もいらないなんて。
細菌感染や衛生面からも、非常に合理的だと思った。
やっぱりみんな、煮沸とか扱い面倒だし
かと言って結膜炎とか怖いし、と思ってたはず。
カラーコンタクトも流行り出したし、
開発のスピードも上がるよね。
今のコンタクトレンズの性能良さと言ったら、
出始め当時を知っているわたしとしては目を見張る。
薄い、潤う、安い!
(初めて使ったコンタクトレンズは、
厚い、乾く、高い。)
目が悪くても、昔ほど困ることはなくなった。
ちなみにメガネだって、
5000円から作れちゃう時代。
しかもフレームもオサレ。
科学の進歩に感謝。