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ダブルワークで教育相談員をするnicoさんの場合

取材:2024年7月

<最終学歴・職歴>

1966年生まれ
1985年3月 私立高校商業コース 卒業
1985年4月〜1986年12月 洋服問屋 営業事務
1986年1月ごろ〜1991年ごろ カイロプラクティック施術院で受付兼補助
2009年10月〜2014年12月 百貨店地下惣菜店 接客、販売、厨房(パート)
2016年12月〜現在 全国チェーンスーパーマーケット レジ、品出し、発注他(パート)
2019年4月〜現在 市立中学校、市立小学校 教育相談員(2校掛け持ち)



<職歴1 洋服問屋にて営業事務>

高校を卒業して就職したのは、洋服の問屋さん。高校に来た求人の中から選んだ会社でした。職種は一応、営業事務ということで入社したのですが、業務内容ははっきりと決まっていないようなものでした。社長がワンマンの会社で、仕事内容も社風も好きになれなくて、2年目の年末で辞めました。



<職歴2 カイロプラクティック施術院で受付兼補助>

洋服問屋を辞めたあとは、私のいとこが経営していたカイロプラクティック施術院で働くことにしました。受付と補助をやる人が欲しいから手伝ってくれないか、と声をかけてくれたのです。
当時はバブルが弾けたばかりのころで、まだ好景気の余韻が残っている時代でした。それで羽振りがいい人がまだ多かったですね。1日平均30人、多い日は40人くらい来院しました。ベッドは4台あったのですが、施術者はいとこひとりだけ。いとこが施術をしている間に、他の患者さんに私が器具を当てて、受付もやって、片付けもして、と本当に忙しかったですね。でも気心の知れたいとことふたりの仕事場だったので、居心地はよかったです。仕事の中で体のことも勉強できたのも楽しかったな、と思い出します。

カイロプラクティック施術院には5年ほど勤めましたが、結婚を機に退職することにしました。当日はまだ、結婚したら女性が仕事を辞めるのは割と一般的だったので、私も特に抵抗感なく仕事を辞めて、家庭に入りました。

結婚後、短期のパートは数箇所やったように記憶しています。その後、1994年に長女、1999年に次女を出産しました。



<産後 子育て支援活動他>

次女が幼稚園に入る前の年、だんだん子どもたちも手が離れてきたと感じて、何か勉強してみようかな、と思うようになりました。ちょうどそのタイミングで、地域の生涯学習センターで、「ママと子どもの心理学」という講座が開催されることを知りました。もともと心理学に興味があったし、託児付きの講座だったので、「これはいい!」と思って申し込んでみました。その講座で教えてくれたのが交流分析でした。
交流分析とは、自身の人間関係やコミュニケーションのクセを知り、対人関係が円滑に進むように、またトラブルを回避できるようにするための心理療法のことです。受講してみて、「こういった内容を、子育てしている人が知っていたら、きっと育児に役立つだろうな」と感じた私は、交流分析の資格をとって、教えられるようになりたいと思いました。それから勉強をして、2009年にNPO法人交流分析協会認定インストラクターになりました。
交流分析は私が子育て支援活動をやってみようと思ったきっかけでしたね。ここで学んだことは、自分の子育てでも、今の仕事でも活きています。

また、講座で一緒だった仲間となかよくなり、サークルを作ることになりました。そして、なぜか私はそのサークルの代表をすることになりました。

同じ頃、このような子育てサークルの代表者が集まる団体が立ち上がったので、参加してみることにしました。私自身は、1サークル(前述の交流分析仲間とのサークル)の代表として、参加していたつもりだったのに、気がついたらこちらの団体の代表にも指名されてしまい、当時は戸惑いましたね。自分では前に出るのが得意なタイプだとは思っていなかったのですが、講座を受けて資格を取ったり、さまざまな団体の活動に参加してみたりする姿勢が、「積極的そう」と捉えられたのかもしれません。

自分の意思ではないものの代表になって、団体に入っている子育てサークルを知ってもらう活動をしていく中で、NPOにしようという話が出てきました。正直私は、NPOにすることで何がどう変わるのかもよくわかっていませんでしたが、その団体の活動に熱心な方が、行政とのつながりもできるし、補助金の申請もしやすくなるだろうと、必要な手続きをすべて引き受けてくれました。現在でもこのNPO(子育てサークル支援活動団体)の理事長を務めていますが、その方がいるから私は代表でいられるな、と思っています。NPO法人前からの仲間も、今でも一緒に活動していて、長年にわたる心強い同志です。



<職歴3 百貨店地下惣菜店にて接客、販売、厨房(パート)>

長女が中学生、次女が小学校2年生か3年生になった頃、そろそろ働きに出た方がいいかな、と考えるようになりました。自分のものは自分で買いたい、経済的に少し自由でいたい、と思っていました。

まずは近所で求人を探したのですが、希望にあった条件のものがなくて、バス通勤で最寄駅近くの百貨店で働くことにしました。勤務時間は12:00〜17:00だったので、子どもたちを学校に送り出して、午前中は家事をやり、午後はパート。

次女が帰ってくるのは、15:00くらい。長女は中学で部活があったので、帰りは19:00前後。学童保育には預けていなかったので、次女は、私が帰ってくるまで2時間半〜3時間程度ひとりで留守番することになってしまいました。次女はその頃からひとりで留守番ができる子でした。パートに出ると決まった時も、「ひとりでお留守番になっちゃうけど大丈夫?」と聞いたら、「平気だよ」と答えてくれました。帰宅後友だちのおうちに遊びに行ったりもするので、それならなんとかなるか、と思って働きに出ました。自宅の裏には夫の実家があったので、困った時には祖父母の家を訪ねるようにも言っておきました。

でも今思い返すと、ひとりで居させるには少し早かったかもしれません。2011年に東日本大震災があった時も、私は仕事をしていて、次女はお友だちと家にいました。安否確認で電話をした時に、次女のテンションが異様に高かったのを今でも覚えています。普段はテンションが低い子で、ディズニーランドに行ったってあんなに興奮した様子になることはないのに。きっとあの時は不安だったんだろうな、と今でも忘れられない出来事です。

シフトの希望が出せる仕事だったので、時給のいい土日に働いて、平日休みを取ることもありました。前述の子育て支援活動を続けていたので、平日休めるのは都合がよかったです。ただ、土日仕事をすれば、子どもたちに留守番させることになってしまいます。残念ながら、夫は子育てに協力的なタイプではなかったので、何かあったら、自宅裏の祖父母のおうちに行くようにこの時も伝えていました。

12:00〜17:00の約束で仕事を始めたのですが、人員不足で無理なシフトを組まれることが増えてきました。ある時、翌月のシフトが確定して、シフト表を見てみると、事前の確認もなく勝手に朝8:00からの勤務になっていました。「私、朝8:00〜になっていますけど」と店長に聞いたら、「できるよ、大丈夫」と言われる始末。いやいや、そういう問題じゃないんだけど、と思いつつも、人が少ないので断れない。働き方改革なんて言われ始める前のことでしたから、そんな無茶苦茶なことが横行していました。そうやって、私の意思とは関係なく、がっつり働かざるをえなくなっていきました。次第にシフトがキツくなって、月に休みが3日なんてこともありましたね。そうしていたら、体調を崩してしまい、これはもう続けられないと思って、辞めたいと店長に告げました。でもなかなか辞めさせてもらえなくて、結局辞めるのに1年もかかってしまいました。

辞めてからしばらくは、夫の自営業を手伝っていました。私自身が体調を崩していたこともありますが、次女が不登校になってしまったので、自由が効く方がいいと思い、お勤めには出ない選択をしました。



<職歴4  全国チェーンスーパーマーケットにてレジ、品出し、発注他(パート)>

中学不登校だった次女も、通信制の高校に通うようになり、自由になる時間が増えました。それならば、家計の足しにしようと思って、またパートを探すことにしました。そうやって見つけたのが、全国チェーンのスーパーマーケットの仕事です。今は、16:00〜20:00、または17:00〜20:00の時間帯で働いています。土日のどちらかはお休みにしてもらえることが多いですね。割と働きやすい職場で、後述する学校の教育相談員の仕事とダブルワークしやすいです。学校の仕事は、夏休み期間は仕事がないので、その間はこちらの仕事をメインにしています。

こちらの会社で社会保険に入っているので、生活する上での軸はスーパーの仕事なのかもしれませんが、実際のところ、私の気持ちの上では教育相談員がメインです(笑)。



<職歴5 市立中学校、市立小学校にて教育相談員(2校掛け持ち)>

長女が就職したころ、娘世代とその親や上司の世代の認識のギャップやコミュニケーションの噛み合わなさについて、いろいろと考えさせられることが増えてきました。娘から聞いた話なので、そのまま鵜呑みにすることはできないかもしれませんが、上司のものの言い方や指示の出し方が、どうやら適切とは言えないのでは?と感じることが多々ありました。そんな話を聞いていると、どうにも腹立たしくなってくるのです。

今の若者が学校でどのような内容の教科書を使って、どのような教育を受けているのか、昭和生まれの親や上司はどれだけ知っているでしょうか。今の若者や子どもたちは、上の世代の人たちが学んでこなかったようなことも、学校で習っています。外国語教育や、プログラミング、多文化共生、多様性の理解などなど。彼らがせっかく学校でさまざま学んできているのだから、それを社会で活かさなければもったいないと思いました。その学びを活かせるかどうかは、上の世代が若者をどう「使うか」次第です。しかし、それができる上司は、企業内にはどれほどいるのでしょうか。娘の就職をきっかけに、若者がこれからの社会の中で活躍していくために、親世代である私ができることは何かないだろうか、と考えるようになりました。

そう思っていた時に、新聞にキャリアコンサルタントの資格のことが書いてあるのを読み、興味を抱きました。実際に勉強してみたら、キャリア教育に関する項目があり、今小中学校でキャリア教育をやっていることを知りました。それならば、この資格を取って、学校で活かしたいと思いました。誰かの仕事の相談に乗りたい、というよりは、今の若い人たちがこれから社会で活躍するための応援がしたいと考えたのです。キャリアコンサルタントの実技試験の最後に「この資格を取ったらどんなふうに活かしていきたいですか?」と質問されるのですが、そこで私は「これから先の時代を生きていく世代の手助けをしたい」と答えたことを今でも覚えています。土日スクールに通って、2019年9月に3回目の受験で受かりました。

キャリアコンサルタントの勉強をしている頃、子育て支援活動の仲間に、「教育相談員の募集があるから、応募してみたら?」と教えてもらいました。教育相談員とは、さまざまな理由で、教室に入ることができない児童・生徒がやってくる、相談室(サポートルーム)の担当の人のこと。相談室で、子どもたちの相談に乗ったり、宿題をみたり、話し相手になったりします。相談室には、不登校だった子が学校に通い始めるきっかけとしてやってきたり、教室の大人数でザワザワした感じが苦手な子がやってきたりします。

自分の娘が不登校の時に中学のスクールカウンセラーに相談に行ったり、教育相談員さんと接したりことがあったので、どんな仕事かはなんとなくイメージできていました。

私の住む自治体の場合、教育相談員になるには特別な資格は必要なく、「相談業務の経験がある人」という条件がついていました。長年子育て支援のNPO活動をしてきたので、その点は問題なく、2019年の4月から、市立中学校の教育相談員をすることになりました。キャリアコンサルタントの勉強をする中で、自分の学びを教育の現場で活かしたいと思っていたので、望みが実現したのはうれしいことでした。2021年には2校目の市立中学校の教育相談員(2024年3月まで)、2024年4月からは市立小学校の教育相談員をしています。中学校が週2日で、小学校が週3日。それぞれ1日5時間の勤務です。

教育相談員の基本業務は、相談室に来る子どもたちの見守りですが、校長先生や学年主任、特別支援コーディネーター(※)の考え方、子どもたちの様子で、方針ややり方が変わるので、学校によって、年度によって任される業務はさまざまです。相談室に来る子が少ない時は、休み時間に校内を巡回したり、気になる子の授業を見に行ったり、先生から要請があれば授業のサポートに入ったりすることもあります。昨年は数学の授業のサポートに入っていました。子どもたちの授業の様子や内容が見られるのは、個人的にもとても参考になるので、またそういう機会がいただけるといいなと思っています。

※特別支援コーディネーター:保護者や関係機関に対する学校の 窓口として,また,学校内の関係者 や福祉,医療等の関係機関との連絡 調整の役割を担う者
(参考:https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_c/c-59/c-59_01.pdf

教育相談員になって思うのは、コミュニケーション力や、自分の思いや考えを表現する力はこれからの時代を生きていくのに大切だ、ということです。私としては、机上の勉強よりそれらの力の方が大切なのでは、と感じています。勉強はあとで挽回できるし、これからはきっとAIの技術を借りることだってできますから。子どもたちがコミュニケーション力・表現力をつけていくためには、大人の側の接し方や声の掛け方がとても重要です。「なんでそういうことするの!?」とか、「そんなことしかできないの?」なんて絶対に言っちゃダメ。自分が「できない」ことに傷つく子もいるんです。否定せず、共感して話をすることで子どもたちは徐々に心を開いてくれます。

時には、相談室に来る子どものことで、担任の先生に直接伝えにくいこともあります。そういう時は、コーディネーターの先生にそれとなく話して、先生に伝えてもらうこともありますね。

子どもに関わる仕事は元気をもらえていいですよ。20分の休み時間に外で遊ぶ子どもたちの「キャー!!」っていう声を聞くと元気になれます。教育相談員をして、改めて子どもたちと一緒にいるのが性に合っているなと感じます。存在そのものが未来ですから。これからも若い世代との接点を持ち続けていきたいです。



<スキルや学歴や年齢関係なく(18歳くらいに戻ったつもりで)、これからやってみたい仕事>

スクールカウンセラーです。

教育相談員という立場では、養育者との接点がなかなか持てません。家庭に関する問題は、スクールカウンセラーに任せることが多いからです。

教育相談員を5年やっているとスクールカウンセラーになることも可能です。でも、今働いている中学校のスクールカウンセラーと話をしていると、私の知識や経験は足元にも及びません。お話ししているだけでとても勉強になります。生徒とも、保護者とも、先生とも話し合いをして、よりよい道を探っています。スクールカウンセラーを名乗るなら、公認心理士の資格を取って、経験を積まなければなりません。今からお金と時間をかけて…となるとなかなか難しいと感じてしまいます。若い時に戻れたら、と少し悔やみますが、子育て支援の活動歴も20年近くあるので、赤ちゃん期の成長から見られることが、今後の私の強みになるといいなと思っています。


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