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彼らの名前は?【写真に残された兵士達の名前】

こんにちは

いきなりですが
第二次世界大戦中に撮られた写真を
色々調べてみたら面白いことに
その写真に写っている兵士の名前だったり
どんな人生を送ったのかが分かった訳です
ネットの海は広いもので
調べればそんなことまでわかるのですね

ということでこの記事ではそれらの写真
に写っている兵士の名前、そして彼らが
どのように生きたのかを紹介していきます

少し長くなるかもしれませんが
最後までお付き合い頂けると幸いです

アレクセイ・エリョーメンコ
(ソ連)

拳銃を手に指揮を執るアレクセイ
アレクセイ・エリョーメンコ


この写真は知っているという方も
いるのではないでしょうか

この写真は
従軍カメラマン マックス・アルペルト
によって1942年 独ソ戦の真っ只中に
撮影され
今まさにドイツ軍に攻撃を仕掛けようかという
緊迫した状況で撮られた写真です

この写真の構図の素晴らしさ
拳銃片手に指揮を執るアレクセイ
"勇敢なるソビエト軍"
としてプロパガンダに使うには最適な写真です
この写真は独ソ戦中に撮られた写真では
一二を争う程有名となり
戦後にはこのような記念碑まで建てられます

南ウクライナ ザポリージャに建てられた記念碑



さて写真に写っているアレクセイ
1906年 ロシア帝国のエカテリノスラフ県
現在のウクライナに生まれます
写真が撮られた時は1942年なので
歳は36歳となります
このときは政治将校でした

彼は若い頃から自主的にコムソモールという
組織に参加し、団長を務めたり
独ソ戦が始まった際は召集令状を待つことなく
自ら軍に志願するなどソ連への愛国心は
高かったことが伺えます
だからこそ政治将校という高い地位に
登りつめることができたのでしょうか
(ちなみにコムソモールとは
簡単に説明するとソビエトを応援する
ボランティア団体のようなもの)

自ら軍に志願するなど勇敢な人物だったのでしょう

しかし、戦争というのは残酷で
アレクセイはこの写真が撮られた数分後
ドイツ軍との戦闘中に戦死
享年36歳

この写真に写っている人物は誰かと
戦後も謎でしたが
1987年 彼と同じ部隊に所属していた兵士の
証言でアレクセイという事が判明しました



セオドア・ジェームズ・ミラー
(アメリカ)

2日間に渡る日本軍との戦闘を終えたミラー
1943年5月16日
入隊して間もない頃に撮られたであろう写真


彼の名前はセオドア・ジェームズ・ミラー
写真が撮られたのは1944年のエニウェトク
2日間の日本軍との戦闘を終え味方の船に
帰還した際に撮られた写真です
なんと彼は19歳でした
19歳で地獄のような戦場に送られるなんて
想像もできません

入隊した際に撮られた写真と戦闘後の写真
彼の顔の変化がわかるでしょうか?

どこか遠い目をしており
生気があまり感じられません
これはいわゆる1000ヤードの凝視と言われる
兵士によく見られる症状です
この写真はわかりやすいでしょう

1944年フランスにて撮影された
身元不明のドイツ兵

セオドア・ジェームズ・ミラー
ミネソタ州のミネアポリス市出身
1925年2月12日
母 エマ・ミラーと父 アルバ・ミラー
の元にミラー家の四男として生を受けます
ジェームズは四人の兄弟と一人の姉という
大家族の元で平和な少年時代を過ごします

そうして迎えた1941年
かの有名な真珠湾攻撃が行われ
太平洋戦争の火蓋が切って落とされました
ですが1941年当時 ジェームズは16歳
アメリカの徴兵義務は18歳からの適用なので
ジェームズは軍隊を免れました

しかし太平洋戦争は未だ終わる気配がなく
1943年 ジェームズは18歳 徴兵の義務が
適用される年齢です
そうして彼は太平洋へ向かいました

そうして彼はエニウェトクへ向かい
戦闘を終えた姿が写真に写されたのです

彼には戦闘のショックから立ち直る時間はなく
1ヶ月後エボン環礁の戦闘にて戦死
19年という短い人生を終えました

この戦争で亡くなったのは
彼のような未来のあった若者ばかりなのです

ちなみにですが彼の弟である
ウィリアム・フレドリック・ミラー氏は
2021年とつい最近までご存命でした

ウィリアム・フレドリック・ミラー



オットー・ファンク
(ドイツ)

1944年フランス
オットーが大きく写っている


オットー・ファンク
彼は"ヒトラーユーゲント"という部隊の一員
でしたヒトラーユーゲントとは
主に10歳から18歳までの子どもたちで
構成された組織で戦況が悪化してくると
彼らでさえ戦場に駆り出されました

オットーは写真が撮られた当時は18歳でした

オットーは1926年6月6日に生まれ
彼が生まれて7年後の1933年に
かの有名なヒトラーが首相に就任する事に
なります
1939年に戦争が始まりたくさんの男達が
戦争へ行き
1944年に彼もまた戦場へ向かうことに
なりました

彼について調べていると何やら凄い
エピソードが出てきまして
それが 彼は機関銃だけでカナダ軍の戦車を
戦闘不能にし、そして鉄十字勲章という
勲章を授与されたといわれています

そして1年後ベルリンにて
ヒトラーの自殺によってナチスは完全に崩壊し
かつては栄えていた帝都は瓦礫の山となりました

オットーはその後連合軍に降伏し
地獄よりも酷い戦争を生き延び
東西分割、ドイツ統一、ソ連の崩壊
色々なものを見て
2011年に天寿を全うしました

戦後に撮影されたオットーの写真


最後に

さて私が紹介した兵士はほんの一部です
中には身元不明の兵士や
行方不明となり遺骨すら見つからない兵士
何ならそのようなケースの方が多いです

第二次世界大戦では数え切れない程大勢の
兵士が参加し、散っていきました
そしてただ死者数として、
数としてかぞられるだけです

とにかく、私が何を言いたいかは
文章力の問題で伝えきれませんが、
忘れないことが大切ですよ!

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