「迷題論理」の歌詞考察
皆さんはじめまして、こんにちは。三度の飯より数学好き!きなこなです。(初めて言った)
「迷題論理」、約一年ぶりに再び聴けました。当時のかすかな記憶としては「0と1が合わさってΦになるみたいな曲」しかなかったのですが()、改めて聴いてこういう曲だったのか…!と思いました。発見に次ぐ発見。
私自身はというと、曲はメロディーを気に入ってから好きになるタイプなので、普段歌詞に集中して歌を聴くことはあまりないのですが、今回は「終電間際≦オンライン。」としての第一曲目ということもあり、少し歌詞を考えてみたいなと思いました。
MVのストーリーについては既に素晴らしい考察が出ていたので、今回は特に歌詞の意味に注目していきたいと思います。
※以下はあくまでも私個人の解釈で、後のまとめにも述べていますが解釈は聴いた人の数だけ生まれて然るべきものです。こんなとらえ方もあるんだなという程度で読んでみてください!
(長いから時間ない人はまず「まとめ」だけ読んでみてね!)
Φって結局何?
まずΦの意味についてですが、数学の集合の概念を意識させる言葉が歌詞に終始散りばめられていることからも空集合∅のことと考えて間違いないでしょう。慣例的に「ファイ」と呼ばれることもあります。
0と空集合(Φ)は一見似ているようで全く異なる概念で、この歌詞の根幹になる部分だとも思います。
{0}というのは数字0を要素に持つ集合なので1や100になれる要素を持っているけど、空集合では要素がないので何もしようがない。
「何もない日常」(0)に1を足していって少しずつ豊かな日常にしたいだけなのに、「僕」の場合は0にスラッシュを加えてΦになってしまう。
それを「懐疑」し問いかけ、最終的には「論理を否定」しようと前を向いていく。
全体としてはそんな前向きで、あたたかく、勇気づける歌詞だと思います。
「命題」と「迷題」、「命題論理」について
歌詞中には何度か「命題」が登場しますが、曲のタイトルは「迷題論理」。
「命題」とは「13は素数である」や「4は奇数である」といったもので、真偽で判断できるものです。(前者は真の命題、後者は偽の命題)
ところが、歌詞中に命題として出てくる「どこにいくんだ?」「何をしたいんだ?」は真偽を問題にすることができず、タイトルでは「迷題」と表現されているのではないでしょうか。
「命題論理」とは命題を組み合わせて論理を構築していくことで、平たく言えば「風が吹けば桶屋が儲かる」や三段論法のようなものです。
(たとえば、「AはBの息子である」「BとCはきょうだいである」「Cは女性である」という3つの命題が全て真だと判断できれば、これらを組み合わせて「CはAのおばである」ことを導き出せる)
今回歌詞中であえて「命題」の表記になっているのは、おそらく理系男子の「僕」が、「0がΦになってしまうこと」を懐疑して真偽を検証しようと「命題論理」の要領で命題を自身に問いかけているからだと思います。
(「僕」の主観では「命題」だが、実際は論理の道筋が立たず客観的に見れば「命題」ではなく「迷題」)
「4では割り切れぬ奇数」について
「2で割り切れない奇数」でも集合の要素は変わらないのに、2じゃなくてあえて「4」になっている理由は?と思いましたが、これについては他の方の考察でなるほどと思いました。(1番歌詞「呼んでも割り切れず帰趨なんてしないんだ」と韻を踏んでいる、LGBTQが背景にある、など)
まるで全てφになる
それを定義する
4では割り切れぬ奇数みたいなもんだ
ところで、歌詞で上のようにΦを定義するとありますが、4で「割り切れる」奇数の集合が空集合なのであって、「4では割り切れぬ奇数」は全ての奇数であり空集合ではありません。(補集合は空集合だけど)
これはどういうことなのか。
「4では割り切れぬ奇数」(=全ての奇数)を要素に持つ巨大な集合を定義したのにも関わらず、それですら空集合になってしまう絶望的で無力な現時点の状態を示しているのでしょうか。歌詞のストーリーはここから前向きに進んでいき状態は好転していきます。
ここはしっくりした解釈ができなかったのでできた方は教えてください(笑)
まとめ
「空になったコップの水飲み干して」「排反」といった空集合を連想させる言葉が散りばめられた世界観。
何もない(変わり映えのない)日常に1を足していって少しずつ豊かな日常にしたいだけなのに、「僕」の場合はなぜかΦになってしまう。
自身を「独り言の集合体」と表現したり、「0がΦになってしまうこと」を懐疑して理詰めで真偽の検証を試みたりするガチガチの理系男子だが、試行錯誤は空回りし、立ちはだかるブラックホールのような空集合を前に無力感に打ちひしがれ自分を見失いそうになる。
しかし、「君はいるんだ」「ここにいるんだ」といったおよそ数学的ではない励ましで自身を鼓舞し、自分を取り戻し、日常に1を足していこうと再び前に一歩踏み出すことができた。
個人的には、常に数学的に物事をとらえ考えてきた「僕」が、数学的には解決できなかった問題を比較的一般的な励ましで立ち直り乗り越えていくところがミソだと思っています。数学と離れた励ましが結果的に「僕」の心を大きく動かしたこの部分は、「そんなに根詰めずに自分らしく生きていけば大丈夫だよ」っていう優しいメッセージだと思います。
「どこにいくんだ?」「何をしたいんだ?」から「どこにいこうか」「何をしたいんだい?」に変わっているところからも、「僕」が能動的に(優しく?)なったことが分かります。
音楽は自由なもので、その解釈は聴いた人の背景や環境に依存し、聴いた人の数だけ生まれるもの。
でもこの歌に関して言えば、聴く人の背中を押してくれるあたたかい歌である点はおそらく普遍的な部分で、一年前に体感したあのしゅうまぎの世界観を再び思い出し、改めて実感できたことはとても嬉しく、来たるライブへのワクワク感も倍増しました!
【終】