【さよなら二日市経由】北鉄金沢バス津幡線の廃止区間を歩く
はじめに
こんにちは。きょうも再びバスの話題です。
3月31日というと年度末ですが、北陸鉄道グループの路線バス・電車ではダイヤ改正の前日を迎えていました。
このたび、令和5年4月1日のダイヤ改正にともない、北鉄金沢バス「津幡線」の二日市(旧道)経由便が廃止となりましたので、廃止当日に廃止区間を歩いてみました。総延長約8kmです。
森本駅前~利屋町(金沢市)
森本駅前
かつてJR北陸線だったものの、平成27年の北陸新幹線開業と同時にJRの手を離れ、IRいしかわ鉄道という第三セクターの駅となった森本駅からスタートです。金沢駅から2駅・6分のところにあります。
西日本ジェイアールバスと停留所は共用ですが、西日本ジェイアールバスは「森本駅」、北鉄金沢バスは「森本駅前」と、停留所名が若干異なります。
ここで、バス停に貼ってあった路線図を見てみます。ここから「津幡中央」まで2通りのルートがあることがおわかりでしょうか。
南森本→観法寺→今町→と続くのが新道(八幡)経由、森本市民センター→森本大橋→今町→と続くのが旧道(二日市)経由のルートとなっています。このたび二日市経由の経路が廃止されました。
それでは、廃止区間の最初の停留所「森本市民センター」へ向かって進みましょう。
森本駅を出てしばらくすると、さっそく新道と旧道の分かれ道があります。旧道が左ですので、「利屋(とぎや)」方面、斜め左へ。利屋は読めない…
現在はすべての津幡線のバスが「七尾・高岡」方面、右へ向かいます。
分岐してすぐに北陸線…ではなくIRいしかわ鉄道を陸橋でまたぎます。同時に北陸新幹線をくぐります。
陸橋の最後に桜がお出迎え。3月31日の訪問で、桜がよく咲いていました。
陸橋を渡り終えて、北国街道を進みます。おっと、さっそく廃止区間最初のバス停が見えてきました。「森本市民センター」です。
森本市民センター(約0.65km地点)
廃止区間で最初のバス停は森本市民センターです。森本駅前から約0.65km(650m)の場所にありました。平日のみ運行で、金沢市内方面(香林坊経由 兼六園下ゆき)が2本・津幡方面(二日市経由 本津幡駅ゆき)が3本でした。なかなか寂しい本数だったことがわかります。
さて次のバス停を目指して進みます。
道路の中央の点線もないような道幅の道を進みます。
するとなにやら工事現場が。どうやら護岸工事?のようです
そして見えました!次のバス停「森本大橋」です。
森本大橋(約1.33km地点)
森本市民センターの次のバス停が森本大橋です。
ここのバス停から先、しばらくは、停留所以外の場所でも乗降できるフリーバス区間となっていました。停留所以外の場所でも、自分が降りたい場所を運転士に申告することでその近くで降ろしてもらえるほか、沿道で手を挙げればその近くでバスが停まって乗せてくれるというシステムです。
津幡線でいつ始まったのかはわかりませんが、歴史のある民家の多い旧道沿いでは、昔は大変重宝したことでしょう。
さて次のバス停へ向かって進みます。
徐々に道幅も狭くなってきます。気のせいかもしれません。
また、昔からルートの変わっていない街道だからか、道がうねうねしているように思いました。
そんな中で、大きな松の木を発見。
石川県指定史跡の「松並木の旧金沢下口往還」でした。北国街道の名残を残す歴史ある場所です。
何度か旧道経由のバスで通ったことはありますが、時間帯の都合上真っ暗だったのが非常に残念でした・・・
ちなみに道はずっと30km/h制限です。当然のことながらバスはそれ以下の速度で、かなり慎重にゆっくり進んでいたように思います。
北陸自動車道をくぐり、のどかな風景に様変わりしました。
「← 岸川・利屋方面」との看板も出現。特に大貨車中心に国道8号に迂回してほしいらしいことが伝わります。集落を縫うように走る道路ですし当然かもしれません。
そうしていると次のバス停に着きました!「今町」です
今町(約2.73km地点)
実は森本大橋からここまでかなり距離があり、1.4kmほど歩いていました(フリーバス区間ゆえ、停留所の間隔は広くても問題なかったと思われます)。廃止区間ではめずらしく、兼六園下ゆきののりばに待合室があるバス停でした。旧道と新道の両方にバス停がありますので、時刻表などでは「今町(旧道)」と登録されていました。
次のバス停へ進みます。
今町を過ぎて少し進むと、黄色点滅の信号機が見えてきます。
こちらはバス専用信号機です。この先に狭いクランク状の道があるため、バスが来たときに、一般車の流れをせき止めてバスを通行させるためのしくみです(クランクの途中で鉢合わせするとすれ違いできないため)。
こちらが例のクランクです。大型バスが通るだけでもかなり狭いのに、ここでバスと一般車のすれ違いなど到底できないことがわかります。
そしてクランクを通りすぎると次のバス停が見えてきます。「二日市」です。
二日市(約3.09km地点)
バスではここの停留所名が経由地として「二日市経由 本津幡駅ゆき」などと案内されていました。花園小学校の前に設置されていました。
次のバス停へ向かいます。次は岸川です。
引き続き道幅が広いのか狭いのかよくわからない道を進みます。
次のバス停「岸川」に着きました。
岸川(約3.60km地点)
「きしがわ」バス停です。
新道にも同じ名前のバス停があるため、「岸川(旧道)」と区別されていたところです。
そして徐々に疲れが見えはじめ、写真を撮る頻度も枚数も減ってきました。テンポをあげていきます。
途中でIRいしかわ鉄道の踏切が近くにあったので立ち寄ったところ、偶然七尾ゆきの普通列車が通過しました。
森本~津幡は約6.1kmあるのですが、途中に駅はなく、すべての列車が快調に飛ばしていきます。
引き続き昔ながらの街道を進みます。途中にコンビニやお店も少なく、若干飽きが来はじめており・・・。
利屋町(約4.20km地点)
次のバス停「利屋町」に着きました。「とぎやまち」と読みますが、地元民ではない私にとっては難読地名です。こちらも新道に同じ名称のバス停があり、「利屋町(新道)」「利屋町(旧道)」とそれぞれ区分されていました。
利屋町の のどかな風景を見ながら先に進みます。まだまだ廃止区間が続きます。
太田南口~新津幡(河北郡津幡町)
太田南口(約5.17km地点)
金沢市から河北郡津幡町に入り、太田という地区にやってきました。
太田南口は今町(旧道)と同様に、兼六園下ゆきと本津幡駅ゆきで別の停留所が置かれているのですが、兼六園下ゆきのほうは・・・あれ?
そう、すでに兼六園下ゆきの運行はすべて終わってしまっており、停留所看板と時刻表がすでに取り外されていました。
本津幡駅ゆきのほうは、まだあと2本運行が残っていましたので、停留所看板は残存していました。
さて続いて「太田」へ向かいます。
太田(約5.71km地点)
太田地区で2箇所目のバス停「太田」です。
郵便ポストや自販機などと同じところに置かれており、地区のコミュニティの中心にいる感じがたまりません。標柱の設置箇所の都合上、丸い停留所看板をまっすぐ撮れないことが残念でした。。
また、よく見ると「北鉄バス 乗車券/回数券 発売所」の文字が。昔はここに商店があり、太田の集落から金沢へ向かう人たちがバスの乗車券を買い求めていたのでしょう。ポストや自販機はその名残かもしれません。
味わい深いバス停をあとにして、まだ進みます。
次は「潟端」です。
潟端(約6.21km地点)
徐々に津幡のまちなかが近づいてきました。太田の次は潟端(かたばた)です。
よくわからないかたちの屋根がついた上屋が特徴的でした。
次の停留所「中条」へ進みます。
ここから道幅が急に狭くなります。それを物語るかのように、平日朝は自動車の通行ができません(ただし一部のバスには通行許可証が掲出されていました)。
余談ですが、筆者がここのバス路線に乗るときは毎回、潟端と中条のあいだで降ろしてもらって(フリーバスを使って)いました。
そして次のバス停が近づいてきました。
中条(約6.53km地点)
潟端の次は「中条(ちゅうじょう)」です。「なかじょう」かと思いきや予想外の読み方だなぁと、初めてここをバスで乗ったときは思ったものです。
次の停留所へ向かいます。
北中条(約7.03km地点)
森本駅からの歩行距離が7kmを超えて、ついに足がつらくなってきたころですが、ゴールが比較的近づいています。北中条も、新道に同じ名前のバス停がありますが、なぜか「(旧道)」の区別はなかったように思います(勘違いかもしれません)。
そして残りの力を振り絞ってなんとか歩いていると、次のバス停が見えてきました。
横浜(約7.58km地点)
以前わたしのnoteで一度ご紹介したことのある、津幡町の「横浜」です。兼六園下から620円で来られる横浜、どうですか?みたいな書き方をしたと思うのですが、残念ながら廃止されてしまいました。
そして次のバス停が、廃止区間としては最後のバス停です。
横浜の集落をすぎて加賀爪へ。金沢市には「蚊爪」と書いて「かがつめ」と読む場所がありますが、津幡町は「加賀爪」と書いてかがつめと読みます。
ここの交差点をすぎればすぐです。
新津幡(約7.90km地点)
津幡町の新津幡バス停です。こちらで旧道経由のバス停はすべて行ったことになります。パチパチ。
その後
このあと私は徒歩で津幡駅へ向かいまして・・・
レスリング選手の川井選手姉妹がオリンピック制覇したことを記念する金色のポストを見て、列車で森本駅へ。
旧道経由のバスの最終便に乗ることにしました。
廃止日の最終便、すなわち最後の最後です。
乗客は私含め3名でした。私以外の2名は生活利用者で、降車場所は当然伏せますが、旧道区間内で降りていかれました。
私はそのまま本津幡駅まで乗りとおし、新道経由として折り返す便に乗りました。
というのも、この日をもって、兼六園下ゆきの津幡線がなくなるためです。全便が野町駅発着になるとのことで、「87 兼六園下」の文字がこの日限りで見納めでした。
というわけで今回は唐突ですが記事をここで締めたいと思います。
ご覧いただきありがとうございます。
みなさまもお時間ありましたら、新道経由の津幡線に乗車されることをおすすめします(列車のほうが圧倒的に速いし安いですが、景色がゆったり流れるバスも楽しいですよ)。
以上