映画「正欲」感想文
昔つらつら書いたものを成仏させようと思います。2024年1月、ちょうど1年前夜ふと思い立って1人で見に行った「正欲」について。
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原作未読だったが、Filmarksの評価がめちゃめちゃ高かったので鑑賞。
事前情報一切なしで見に行ったので、”水フェチ”の設定に気づかず、何が何だかわからないまま物語が進み、最初の1時間は退屈だった。本当に途中退出しようと思うレベル。なんでこんなのがいいんだ?とか思ってた。
私たちは、”多様性”というけれども、本当に理解できない価値観が出てきた時に、それを受け入れられるか?もしくは自分が”そちら側”になったときに、どう生きるのか?
そして映画を見てこう思っている時点で、「なんで自分は 、受け入れる側なんだよ」なんで怒られるかもしれない。だけど、映画を見てもなお、この社会ではマジョリティがマイノリティを「受け入れる」もしくは「ないものにする」ことでしか成り立たないとも感じた。
この映画では、問いに対する答えが、マイノリティが共通項をもつ人の繋がりを作り、マジョリティに同化して生きていたのが印象的だった。
ちなみに前者の問いに対して、(少なくとも”水フェチ?”については)私は歩み寄るということはできないと思った。そして歩め寄れないということは、つまり、これは、マイノリティを受け入れないということだし、マイノリティはマジョリティに同化する努力を強いられるということで、結果的に私もまた多様性を阻むマジョリティなんだと思った。だからこそ、この映画を通して、口で”多様性”を発しても、これは実現されることのないんだと感じた。(諸橋くんの発言にも通ずる)そして、ある価値観を受け入れるという意味での多様性を作るには、その人たちが繋がり、トライブとなり発信するという過程が存在することを学んだ。(今あるLGBT運動のように、映画であった3人のパーティーの集まりのように。※彼らは発信ではなく自己完結を選んでいたが)
唯一救いだったのは、「普通」に擬態する2人が何よりも幸せそうだったこと。すごく良いシーンだった。
以下心に残った台詞やシーンをつらつら。(正確ではない)
・この世の全ては、明日生きたいと思う人のためのもの
→ポストに入っているジムやゴルフのチラシ、メイク、対人関係、明日生きる人のためのものに疲れる時がある。
・地球に留学してるみたい
→これもすごく共感。その後のセリフにもあった周りが楽しいと思う一つ一つのものが自分と違う、と言うセリフも同じく。自分が夢見るものや理想、何より「普通」が周りと同じだったらいいのにって何度も思うことがある。それを言語化してくれて、救われた。
・思っちゃいけない感情なんてない
・(卵焼きのシーンで、)お金払うよ
→別々の部屋、朝ごはんで食べるもの(洋食と和食/洋室と和室なのもおもしろい)、別々の冷蔵庫、生きるために手を取り合う2人の生活の描写が好き
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1年前のメモを見返しながら、少し嫌な記憶を思い出した。
この映画を見た次の日、初詣に行った。
その子は、所謂、みんなのど真ん中にいるような子で、常にマジョリティ側の子だった。なんでわたしなんかと仲良くしてるの?と不思議なくらい。
長蛇の列に並びながら、ねえ最近なんの映画見た?と聞かれた。一瞬、彼女が好きそうな映画を話すか迷ったが、私は彼女に勇気を振り絞って言った。正欲って言ってね、なんか最初はよく分からない映画だったんだけど、でも、なんか、すごく救われたんだよね。朝井リョウ原作でね。
そう言いながら、映画が自分の感情を代弁してくれたことが嬉しくて、この映画に共感したことを話せる友達がいるのが嬉しかった。
だけど違った。
ものの10秒で彼女は
あ、列詰めよ
と、ぴしゃりと私の言葉を遮った。
列を詰めながら前に進み止まった時、
彼女の違う話が始まった。
あのね、そういえばさ〜〜と。
勇気を振り絞ってはなしたことが、なんだが邪険に扱われた気がした。そして、また、私はまた殻に閉じこもりマジョリティに擬態することにした。