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Mountain Trail Running  ー山が教えてくれたことー

第15章 イノベーション

 「じゃあ、はじめます。壁際に立ってください。姿勢を見ます。」中山響子(仮名)は入社二年目の女性セラピストだ。元顧客で全身に疼痛を抱えていたが、自ら調べたオーソモレキュラーとこのミオンパシー整体術で改善した実体験を持つ。快方した現在でも糖質はほとんど取らずタンパク質強化とサプリメントでの微量栄養素の摂取でコンディションを整えている。
 私は定期的に全店のセラピストの施術を受けるようにしている。普段はアスリートチューニング研究のための実験台として精鋭チームのチューニングを受けているが、一般治療が事業の中心のカンパニーにおいては、現場の視察は欠かすことができない重要なタスクの一つだ。現場での実践経験が一年経過したセラピストの施術であれば、チューニングの実験台としての体を悪化させることもないだろう。
 「へー、テキパキとやるんだな。こっちが緊張してくるわ笑。じゃあ一二〇分あるので好きに進めてください。今日は全身の調整をメインでお願いします。」こうして中山のQC(QUALTY CONTROLの略、品質管理)がスタートした。
 「じゃあ施術ベッドに仰向けで寝てください。クッション使いますね。」普段は男性サラピストによる力強いチューングで、深層部の筋肉チューニングを受けているので、中山のクッションを多用したリラクゼーション施術はとても新鮮だった。
 「すごい楽になるね。新鮮だな、こういうのは。誰に教わったの?」
 「誰ですかねー、クッションを使うというのは誰かに聞いたんだと思いますけど…、私、普段からセルフ整体ばっかりやってるじゃないですか。それでセルフで緩める時にクッションを使ってたら、いつの間にかコツを掴んじゃいました。施術する私自身も楽ですし、一度にたくさんの部位を緩めることができるのでいいですよねー。」
 その言葉通り中山の施術では五つ六つのクッションが次から次へと玉手箱のように出てくるのだ。堂に入ったその手際に驚くとともに、こうした特殊技術をたった一年の経験しかないセラピストが自ら開発し実践導入していることがとにかく嬉しかった。大企業では「何勝手なことしてんだ!」と叱責の一つもありそうだが、ベンチャーはイノベーションこそが生命線だ。私は現場からのイノベーションを発掘し検証し昇華させるのが経営者の使命の一つだと考えている。
 「次は側臥位でお願いします。」中山の施術はテンポよく進んでいく。施術ベッドの上に乗せているボディクッションを少しずらし横向きで寝れるようにセッティングする。
 「横はめったにないよ。言葉が陳腐なんだけど、響子さんは本当に凄いな笑」彼女の手際の良さと、同時に多くの部位を緩めていく効果によって副交感神経が優位になり、全身から力が抜けていくのが分かった。施術を受ける側がこういう状態になるとこのセッションは大成功間違いなしだ。筋肉の強張りは筋肉ロックと質の栄養失調が原因だが、この強張りを取るためには自律神経が整っていることが前提条件の一つになる。心身いずれかに過度なストレスがかかってホルモンバランスが崩れていれば、いかに楽になれる環境が整っていたとしても交感神経が優位なまま緊張が取れないケースがある。ホルモンバランスは質の栄養失調とも密接な関係があるからこそ、この観点でもオーソモレキュラーを導入する意味があるのだ。
 中山の施術はあっという間に一二〇分が過ぎた。施術後、立ち上がった時に脱力感を感じたのは本当に久しぶりだった。筋肉が相当量緩んだのは間違いなかったので急いでBCAA(分岐鎖アミノ酸の略で、バリン、ロイシン、イソロイシンの三つの必須アミノ酸の総称。筋肉に直接作用すると言われている。)を摂取した。
 「ありがとう、感動したわ。KSCだ!」
 「KSCって何ですか?」
 「新しい技法の名前。KYOKO  SPECIAL BY CUSION!」
 「はぁ、ありがとうございます…」
 中山はあまり嬉しそうじゃなかった。私が嬉々として発したその言葉が彼女の努力とセンスに比してあまりに軽すぎたのかもしれなかったと帰宅の途に着く車中で少しだけ反省した。
 ミオンパシー整体術は長い歴史の中で確立された徒手療法だ。ただ、手技とはその名の通り人の手で行われる術なのでバリエーションがあって当然だと思っている。鮎川の施術を始めて受けた時にそれまで二年間受けてきた施術との違いに驚かされた。その時に「全然違うじゃないか…」と言う既存サービスへの疑念どころか、「凄い可能性がある!」と心躍られたというのが私の本心だった。技術とは常に進歩する可能性を秘めている宝だ。私はこのミオンパシー整体術をベースに技術革新を進めて、もっと改善精度の高い療法を開発しようと心に決めていた。だから、セラピストたちには日頃から「気になることがあればどんどん試そう。研究しよう。可能性に天井を設けることなく飽くなき探究心を持ち続けよう。」と伝えてきた。その手始めとして私が見つけてきた仙腸関節調整法の導入だった。鮎川の持つ能力で際立っているところは、すぐにその療法が意図することを見抜き、見よう見まねでマスターしてしまうセンスだ。早速、私の体で三回ほど試し再現性があったので上級セラピストから導入した。2Aという技術が、ミオンパシー整体術のSCS(ストレイン&カウンターストレイン)に加わった。
 そんな矢先に中山が開発したこのKSCに巡り会えた。SCS・2A・KSCと三つの技法が筋肉療法の技術ラインナップとして確立したことになる。

 常住信夫はこの年六三歳になる最年長セラピストだ。この時、セラピスト経験は一年半。つまり、セカンドキャリア組で、前職は中学校の校長先生という異色なキャリアを持つ。中山同様に彼も元顧客で自分の腰痛がミオンパシー整体術で改善したことに感動し、この技術を身につけて近隣の知人や教職員の後輩をサポートしたいという明確な目的をもって整体塾の門を叩いた。
 いわゆる”教師”というステレオタイプな人柄ではなく、コミュニケーション能力に長けた柔軟さがある。ただ、やはり規律を重んじる実直さが性格の中心にあり、その証拠にカンパニー内では唯一この常住だけが、私のことを「社長」と呼ぶ。そしてこれまで個人的な接点があまりなかったことがこの呼称と相まって今回のQCが緊張感が漂う人事考課の様相を呈することにつながっていた。
 常住の施術はオーソドックスだった。基本に忠実というのはまさに定年まで教職を務め上げた人物ならではと納得させられた。
 「常さん、今日はいつも以上に右脚の外側広筋が疼くんですよね。ここは筋肉ロックの蓄積がひどいんですが、それだけじゃないような気がしています。痛みの出方がロックのそれとちょっと違うんですよね。」
 「じゃあ、股関節屈筋群の後はそこをやらせていただきます。」一時間ほど腸腰筋の施術をした後、問題を抱えている右脚の外側広筋(大腿四頭筋の一つ)の施術に移った。それまで淡々と進んでいた施術が一変したのはその時だった。常住はガッチリした体躯の持ち主で体の芯がぶれない。私の右脚を抱えて姿勢を固め、患部を触診しながら脚を揺らし始めた。バイブレーションをかけるように微動させながら触診する指は患部を探っていく。体力が必要な動きを常住が二〇分ほど続けた後、何が変化したのが分かった。
 「常さん、これ何ですか!?」
 「微振動させると表面のロックが取れるんです。血流も劇的に促進されます。微振動させながら触診の位置を変えていきます。表層の筋肉と同時に深層部のしつこいロックにもアプローチしていきます。」
 「すごいですねー、ヤバイですね、これは!」
 「社長、一二〇分過ぎましたがまだ続けてもいいですか?」
 「ぼくはいいけど、常さん疲れたんじゃないですか?」
 「ここだけはやらせてください。少し変化してきましたし、もう少し緩めてみます。」
 それから一時間ほど常住の施術が続いた。黙々と続けるその動きは一切ブレることなく、既に型が出来上がっている新しい技法だった。右脚だけはっきり温かくなったのが分かった。施術で体感が変わるほど温かくなったのは久しぶりだった。
 「社長、今日はこれで終わらせていただきます。一時間も余計にかかってしまいすみませんでした。お体お借りしありがとうございました。」
 「こちらこそ、長時間の施術ありがとうございました。いい物を体験させてもらいました。早速、みんなが常さんの真似ができるよう動きます。これからシニアセラピスト連中が常さんの施術を受けにくることになると思いますが、指導をよろしくお願いします。」
 「私ごときで恐縮ですが、お役に立てるなら頑張ります。」
 どこまでも謙虚で真摯な老師の姿がそこにあった。その日の夜、シニアセラピストたちに常住の施術をすぐに受けるように指示し、全メンバーにはTSV(TSUNESUMI SPECIAL BY VIBRATION)が技法としてラインナップに加わったことを伝えた。リリースはまだ先だが、こうして中堅セラピストたちが独自に技術革新にチャレンジしている姿をすぐにでも共有したかったからだ。
 人材育成部門を管理している鮎川と平井には、これらの技法を整理し筋肉療法の品質管理を徹底するよう指示した。施術をマニュアル化する必要はないが、施術の本質(人の体の仕組み)を掴まないと壁にぶつかった時に新しい技法に逃げてしまい触診の力が身に付かないなど弊害も多い。セラピスト一人一人技術力や知識が違うので、こうしたイノベーションを現場に落とし込む時はより慎重に行う必要がある。 
 今回この二つの出来事で最も重要で驚くべきことはイノベーションが経営から離れた現場から湧き起こったことだ。ベンチャー企業ではよくある光景だが、それはベンチャースピリットが備わったメンバーが集うからだと思っていた。前職のITベンチャーでは、新卒面接の場にも立ち会う機会が多かった。そこで出会った学生たちから感じたのは野心だ。マネーゲーム(IPOにはそういう側面もあるのは事実)と揶揄されようが、成上り者と蔑まれようが、自分の力を試してのし上がりたいという強い熱意が全身から湧き上がる、そんな若さとパワーを感じるのが常だった。そして、社会人経験すらない入社一年目の新人社員が臆することなく、事あるごとに自分の企画を提案してくる。そして、力のある者、結果を残した者は新たに重責が与えられる。そういう過去の経験から、私はある特定の環境でこそイノベーションは起きるのだと信じて疑わなかった。そして、そのある特定の環境という枠組みに、このカンパニーが当てはまるとは到底思えなかった。ベンチャー企業といってもベンチャーの意味すら分からない、野心があるわけでもない。成り上がりたいわけでもない。このカンパニーに集うメンバーは、ただただ人の役に立ちたいと純粋に願っている人たちばかりなのだ。私はむしろそれでいいと思っていた。これこそが私が作りたいカンパニーであり理想だったからだ。
 しかし、仕事のやり方はITベンチャーのそれとは比較にならないほど稚拙で、遅く、ミスが多いと散々だった。直ぐにでもフルスロットルでアクセルを踏みビジネスを推進したかったが、そこはトレードオフと割り切りグッと堪えて我慢した。そして、新しくメンバーに加わるほとんどの人が素直だが、その一方で固定観念の塊のいわゆる”常識人”だった。新しい考え方、新しい仕事の仕方、新しい”常識”に分かりやすいアレルギー反応を起こす。仕方のないことだが、これは時間をかけてでも変わってもらう。そう決めてゆっくりじっくり根気よく伝え続けた。唯一、現場のトップであるサロンマネジャーたちには、直接ビジネスのフレームワークや結果にこだわるマインドを伝えて、できる限り現場に任せてきた。
 人は本来好奇心の塊だ。子どもを見てれば一目瞭然だろう。どんな子どもでも、特に幼児であればなおさら何から何まで物珍しく手を出す。これが本能と言わずして何というのか。それがいつからから新しいことにチャレンジしなくなる。新しいことに不安になる。安定こそ生きる指針とまで保守的になる。知識が増え、知恵が備わり、経験が豊かになる。そして”常識”の塊になる。では、本能は失われてしまうのか?私はそうは思わない。ホモ・サピエンスの本質を知れば知るほど、本能とは、切っても切り離せないDNAに埋め込まれた人類の歴史に他ならない。だから、待った。本能が目覚めるまで待った。みんなが少しずつ覚醒していくのを肌で感じながら、私はずっと待ち続けていた。 

二〇一九年四月の全社研修で2Aを、スレッドにてKSC・TSVをお披露目した。ミオンパシー整体術から劇的に進化発展している新しい筋肉療法は、どんな顧客にもさらなる改善結果を出せる物だと確信していた。だから、メンバーが困惑し混乱するかもしれない新しい技法を、新メソッドの核として迷いなく全メンバーに公開した。しかし、そこには”新しい常識”にアレルギー反応を示すメンバーの姿は一人も見当たらなかった。
 イノベーションはどんな環境だろうと、燃えさかる情熱と強い信念さえあれば、いつでも成し得るという真実を、目の当たりにしていた。そして、このメンバーだからこそ一緒に世界を変えることができるのだと、プレゼンシートの表紙に掲げれたカンパニーヴィジョンを眺めた。
 ”We Change The World” 
 「世界を変える」筋肉のロック現象を証明し、痛みを抱える多くの人の笑顔を取り戻す。ヴィジョンの実現には、イノベーションが風土として根付いた環境と、新しいことへの飽くなき挑戦が不可欠なのだ。(つづく)


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