素意や!
昭和歌謡に限らず、聴いていて、
「この歌詞は一体どういう意味だろう」と思うことがよくある。
サザンオールスターズでいえば、
メリケン情緒は涙のcolor
中原めいこでいえば、
君たちキウイパパイヤマンゴーだね
サディスティック•ミカ•バンドでいえば、
アンモナイトはお昼ね ティラノザウルスお散歩 アハハン
意味は分からないが、歌にリズムができるし、歌詞に深みもでる。
…その逆も、ある。
一世風靡セピア「前略、道の上より」1984年
作詞 セピア
作曲 GO TO
「ソイヤッ!」でお馴染みの歌。
イントロだけで「ソイヤッ!」が18回、「ハッ!」が1回出てくる。
大勢の男たちが、熱苦しく、むさ苦しく、無心で神輿を担いでいる感じ。男子校の、何をするにしても裸になりたがるあのノリ。サッカー部の、グラウンドの土の匂いとスパイク底に沈澱した乾いた汗の匂いとが入り混じる部室の感じ。
そうだ。これは野球部の”男臭さ”ではなく、どことなくサッカー部の”男臭さ”だ。
サッカー部ではなく柔道部の”男臭さ”では?
というようなクソリプが飛んできそうだが、柔道部では、臭過ぎる。
それに柔道部には河島英五「酒と泪と男と女」というモビルスーツがある。
だからここはあえてサッカー部でいかしてほしい。
ちなみに野球部の”男臭さ”は、
長渕剛「とんぼ」
が、すべてを表現してくれている。
さらに、
女子テニス部の”ちょいとおませなお姉さん”感は、
石川ひとみ「まちぶせ」
“目立った存在ではないが毎日芸人の深夜ラジオを聴いているため、クラスの人気者が取る笑いには人一倍厳しいメガネ男子(※お母さんにだけ当たり強い)”感は、
イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」
“クラスTシャツを、24時間テレビのチャリTシャツを着る(旧)ジャニーズみたいに着こなす女子(※数学の先生を好きになってしまう)”感は、
おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」
ということになっている。
閑話休題。
「前略、道の上より」である。
太鼓の音とソイヤッ!の勢いで、この歌に”ちゃんと”歌詞があることを忘れがちになってしまうが、1番を読み解いていくと、
ー1番ー
咲きほこる花は 散るからこそに美しい
散った花びらは 後は土へと還るだけ
素晴らしいと思う。
日本人の感性に訴えかけるような、情緒的な歌詞だ。
これは新渡戸稲造よろしく武士道の精神を表現しているのかもしれない。かっこいいと思う。
しかし、問題は2番である。
ー2番ー
海を潜るには 息を止めなきゃ潜れない
息を止めるのが いやなら海には入れない
当たり前である。
一行ずつ確認してみる。
海を潜るには 息を止めなきゃ潜れない
いや当たり前だろ。
どうして急にこんなことを言い始めたんだよ。
1番で言いたいこと全部出し切ったのかよ。
1番の作家が2番の手前で飛んだのかよ。
松屋で牛丼食うには食券を買わなきゃ食べれないように、五木ロボを楽しむには五木ひろしを知らなきゃ笑えないように、恋をするには自分に素直にならなきゃ始まらないように、海を潜るには息を止めなきゃ入れないだろ。
ソイヤソイヤソイヤソイヤ!でこまかすなよ。
息を止めるのが いやなら海には入れない
いやそうだろ。
ドンドコドンドコドンドコドンドコ!の和太鼓のリズムに乗せて、皆んなでわざわざ歌うことじゃないだろ。
1番の作家が2番の手前でタイミー行ったのかよ。
ていうか「おれ海入るときいちいち息止めなきゃいけないの嫌なんだよ」
って、駄々こねてるやつ誰だよ。
おまえ海向いてないよ。
山行けよ。
食券買うのがいやなら味噌汁もついてこないように、五木ひろしを知るのがいやなら五木ロボが鼻くそ食べる意味がわからないように、素直になるのがいやなら恋なんて退屈で窮屈なように、息を止めるのがいやなら海には入れないだろ。
ソイヤソイヤソイヤソイヤ!でごまかすなよ。
山行けよ。
ー3番ー
山を又登る 登り疲れてふと休む
辺りの景色が 心支えとまた登る
山行ってんのかよ。
非常に好きな歌だが、聴くたびにそんなことを思ってしまう。
しかし、男子校サッカー部的で、熱苦しく、太鼓の音に息が詰まりそうなこの曲には、逆に海を潜るには息を止めなきゃ入れないという、ひと息つけるパートが必要なのかもしれない。
だからこの曲は、高カロリーなのに何度も聴いてしまう。