至極真っ当な僕は天命を行く
みなさん、こんにちは。
『4年2組』ボーカルの泰生と申します。
安泰に生きると書いて、泰生(たいせい)と読みます。
僕の大好きな大切な名前です、安泰に生きてるかどうかはさておき。
さて、僕のことを知ってる人も、そんなに知らない人も、誰でしたっけ、の人もいらっしゃるかと思います。
改めまして、4年2組というグループのメンバーでイエローカラーを担当しています。
2024年3月6日に日本武道館ライブを控えてます。
マジです。
1997.06.10の26歳。愛知県名古屋市出身。
身長172センチ、体重は増減が激しく65〜75くらいを毎月増えたり減ったり。
(ちなみに見た目にめちゃくちゃ出ます、1ヶ月でめっちゃ太るし、1ヶ月でめちゃくちゃ痩せます)
血液型O型。
あとなんか諸情報ある?
もし必要な情報があれば教えてください。すぐ教えます。
あ、靴のサイズ27.5
急になに?状態の人がほとんどだと思うんですが、
4年2組というグループに所属して、はや半年が経とうとしています。
マジ?もう2年くらい居そうな体感なのに毎日が充実している証拠なんですかね。
3ヶ月も経つのに、自分のこと全然話してないな、泰生って何者なんだろうな。
そう、僕が誰で何者なのか、何をしててどうしたくて何を伝えたいのか、話してこなかったねって。
ポコチャの配信が始まったりして、
自分語りしたりもしたけど1部過ぎじゃね?って。
何のためにアーティストやってんの?
歌で伝えようぜって、まだ僕にはそんな自信もなく。
ただ漠然と、26年生きてきた『泰生』という人物を知ってもらいたい、そう思ってこの文章を書いています。
書き始めてなんかダラダラ長く書いちゃいそうな予感がしてるのだけど(書き終わったあと読み返してるけど、うん、長いねw)、もし『泰生』っていう人間に1mmでも興味を抱いてくれてる人がいるのであれば、少しだけ付き合ってくれると嬉しいです。
誰しも『何者かになりたい』そう思って生きてると思います。
夢や目標がなくても、漠然と生きてても、やはり『何者か』には憧れちゃうから、この文章を書いてる今だけは何者かにならせて下さい。
それでは、私の道しるべ。
【泰生の道しるべ】
1997年6月10日に生を受けた僕ですが、出身を聞かれると迷わず愛知県名古屋市!!と答えるのはまず嘘です。
生まれは岐阜。そこからちょろっとだけ名古屋に住んで、その後千葉県船橋市で5歳まで過ごして、6〜18歳まで名古屋に住んでました。
僕のディズニー好きの根幹はこの5歳までに完成されてたかと思います。
小さい頃からディズニーに触れて、何回も何回もディズニーランドに連れてってもらった記憶があります。
幼少期の記憶はもう欠片もないので、色々とはしょりますが、名古屋に引っ越してきてから小学校1年生の時に喧嘩が流行ります。
喧嘩が流行るってなに??どういう現象??
とかく小学生あがりたての子供というのはヤンチャで、イジメとかでは決してないけど何かあるとすぐ殴る蹴るをする識別のつかない学級でした。
そして僕はあろうことかめちゃくちゃ喧嘩が弱かった。
今は少しイカつい見た目をしてるものの、小さい頃の僕は臆病で前に出づらく、ケンカが勃発するとすぐに降参してしまうような弱い男の子。
なんとかして強くなりたい!!と決心して、普通であればここでボクシングやら空手やら柔道やら格闘技に手を出すはずが、知らん間に剣道を選んでました。
ケンカに武器使おうとしてるやん、おい、卑怯やぞ。
おうちのすぐ隣にアオキスーパーがあり(これもしかして愛知県にしかない?)、剣道教室があったので門を叩きに行きました。
はい、悪夢の始まり。
たまたま県内有数の強い道場でたちまち僕の生活は剣道一色となりました。
月、火、水、土、日(だいたい試合)、と稽古があったのですが、当時僕は水曜19:00〜のNARUTO(当時サスケ奪還編)を見たいがあまり一度稽古を早退してこっぴどく怒られた記憶があります。
だってどうしても見たかったんだもん…。
しょうがないじゃん…。
剣道は嫌いじゃなかったし、結果的に全国大会に出れたし(実はこの時試合で武道館行ってます)、まあ男の子とは単純なもので勝てれば楽しい、勝てなくなるとつまんない。
勝てたからまだよかったものの、とにかく剣道に時間を割いていました。
(割愛するけど4年くらいバイオリンも習ってました。ちょっとだけ弾けます。しずかちゃんくらい)
小学6年生の冬、【嵐】というアーティストに出逢います。
僕のアーティストとしての原点。
なにこれ超かっけえ!!とめちゃくちゃ興奮してました。
僕の卒業アルバムには確かに将来の夢:嵐、と綴ってあります。
いやいや、嵐さんの6人目とかならまだわかるけど、将来の夢『嵐』って何やねん。
とにかく12歳の自分にとってこんなにもキラキラ輝いててカッコいい人達がいるのかと。
ステージから、テレビから、生きる活力をくれる憧れの人達。
こんなかっけえ自分になりたい!!とここで表現者としての道を志します。
ただ『アイドルになりたい!!』っていうのは恥ずかしいお年頃。お母さんに『ジャニーズに入りたい!!』と言い出す勇気など持ち合わせているわけもなく、その頃櫻井翔さんや松本潤さんがテレビドラマをやっていたこともあり、ひとまず将来の夢は【俳優】に決まりました。
中学に入ると、湘南乃風さんにどハマりします。
中学生というものはとにかく《悪い》に憧れるお年頃で、
湘南乃風さんはもうカッコ良すぎて…。
ドンピシャでした。SHOCK EYEさんと同じ髪型にして怒られて坊主にさせられたり、若旦那さんの短髪に憧れて真似して坊主にさせられたり、その頃SHOCK EYEさんが髪を伸ばし始めて憧れて伸ばして坊主にさせられたりしてました。
これ今だったら大問題なんだろうな。
中学時代の思い出は坊主です。
高校時代は、、、黒歴史。割愛。
さて大学受験を終え上京し、いよいよ芸能だ!と心に決めた18歳の僕はとんでもない事実に直面します。
18歳。芸能界だとまっっったく若くない。
むしろ遅い、遅すぎる。
周りの子達は10歳とか15歳とかそんな年齢から活躍してる。
経験の差を諸に叩きつけられ唖然。
何もできなかった。何の能力もない僕は、ただ何となくオーディションを受け落ちる日々。
そんなときとある劇団の公演を見て、劇団に所属したいと思うようになり、
東京で1番有名な早稲田大学演劇研究会の派生劇団に入団しました。(早稲田大学演劇研究会は堺雅人さんの出身劇団。僕の舞台をあの堺さんが観に来てくれたこともありました。。)
とにかく体育会系で、エアロビっていうメニューがあって、
わかりやすくいうと30分くらいずっと腿上げしてるメニューとかガンガンやらされて、体力的には人生で1番辛い経験だったかもしれません。
そこでの下積みを4年ほどして、その中で生きてきた中で1番面白い!!と思える舞台に出会い、そこの主宰の人にとにかくアタックして出演させてもらい、気に入ってもらい、入団しなよ!って言ってもらって、え!?入ります!!ってなった矢先、未曾有の感染症がやってきました。
弱小劇団なんて即刻解体を余儀なくされて。
僕にとっては内定取消みたいなもんですよ。
なーんにもうまくいかない気がして。
はい、ここからです。
ここからが1番僕が伝えたい僕の人生。
正直読んで嫌な気持ちになる人もいるかもしれない。
まずはここまで読んでくれた物好きな方に感謝申し上げます。
ここからは僕が26年生きてきた中で出会った最愛の人の話をします。
もし、なんか嫌だなあと思ったらそっと画面を閉じて下さい。
それでも付き合ってくれる方、良ければ僕の話を聞いてください。
少々ポエマーちっくになるのは許してください。
深夜です。深夜テンションってことで誤魔化します。
22歳の春、大学卒業と同時にコロナという誰しもが恐怖したあの感染症がやってきます。
もちろん演劇なんてできるわけなく。
自分が世界で1番好きだった劇団が目の前で解体され、
路頭に迷い、色々なことにチャレンジしていた秋。
バイト先の歳上の先輩。
それはもう今まで生きてきた中でも
信じられないくらい人を好きになりました。
何がそこまでよかったのか、
何が僕をそうさせたのか、
今となってもわかりません。
それでも僕は、10年以上抱き続けた夢を諦められるくらいにはその人のことが大切だったみたいで。
人生で初めて、この人のために自分の時間を使いたいと思った。
人生で初めて、人のために生きたいと思った。
これまで頂いたオファーや、自分の決めた道を捨てても、
自分の人生の時間を使いたいと思った。
だから僕の芸能人生に終止符を打って、仕事を始めることにしました。
何としても早く出世して、この人を幸せにしたい。
就活を3ヶ月で終わらせ、とある上場企業の営業マンとして働き始めました。
「頑張りすぎないでね」と声をかけてくれてましたが、
もうほんと昼夜問わずそれはもう働き続けました。
めちゃくちゃ苦しかったし、寝れない日々が続いたし、
やりたくないことをやり続けてたけどそれでも、この先に結婚があって、この人との未来を作っていけるなら、と自分自身を騙し続けて働き続けました。
だいたいオチは見えてるね。
はい、死ぬほど働いた甲斐あって当時同期内での成績は1位。
出世も間近まできたところで約2年間共にした彼女とお別れをしました。
見えてなかった。
"一緒に過ごす"ことが幸せだったのに、仕事しすぎてそれすらできなくなっていた。
理想と現実とのすれ違いだったと思います。
理想を追い求めすぎると甘くない現実が突き刺さり、現実を追い求めすぎると理想とかけ離れすぎて嫌になる。
今となっても、僕が悪かったと、そう思います。
彼女を幸せにするために自分の時間を使い続けてたつもりが、結果的に「そうするしか方法がないから」と決めつけ、不幸にさせてしまった。
貰ってた愛を、ただただ受け取るだけで、何もしてあげられてなかったのだと。
絶望感、無気力。
同棲してた家から彼女が出て行き、1LDKのだだっ広い家に1人で仕事から帰り、また明日の仕事の準備。
生活は変わらないのに、みるみる仕事の成績は落ちていく日々。
2022年冬。
正月に実家に帰り、毎年恒例になっている1年の振り返りをしたときに気づいたことがありました。
人のために時間を使ってた日々が僕にとっては『幸せ』であったこと。
結果的に不幸にしてしまって本当に申し訳ないと思う反面、
この濃い2年は無駄じゃなかったと思う。
今まではずっと自分のためにしか生きてこなかった。
自分が幸せになりたいから!とかモテたいから!とか
そんな理由で活動していたと言っても過言ではない。
改めて自分の原点に立ち返った時、
ステージ上でキラキラ輝きたいから!!とか、もてはやされたいから!!とかそんなんは勿論…ないとは言わないけど、
でも僕という人間が使う時間が人のためになるのであれば、
今後の人生、人のために時間を使いたいと心から思うようになりました。
だからこんなに悔しかったのだと思います。
愛をもらってばかりで何も返せずに、何も与えられずに終わってしまった。
年が明けてすぐ、散々お世話になった上司に話を切り出し、
一度打ったピリオドを外す決意をして、2023年7月9日に4年2組に加入しました。
このグループがどれだけの人に愛されてて、どれだけの人が応援してくれてるかを今目の当たりにして、たった1人の女性すら幸せにできなかった自分だけど、
それでも僕が生きることで、時間を使うことで、パフォーマンスすることで、1人でも多くの方の生きる活力になればいい。
そんな大層なものじゃなかったとしても、今日も泰生くんがどこかで必死に頑張っているから僕も私も頑張ろうと、どこかの誰かが一瞬でも思えたら、ほんの少しだとしても世界を変えたと僕は胸を張れると思う。
そして武道館で、僕1人の力では決してないけれど、
こんなにも多くの人を幸せにできたんだと自信を持って言える人間になる。
極論を言えば、アーティストじゃなかったとしても表現者じゃなかったとしても、僕にできることで人を幸せにできるならそれでいい。
縁があって4年2組と出会い、メンバーと出会い、クラスメイト(ファンの方々)と出会い、そして僕が声をかけたのがきっかけでクラスメイトになってくれた人もたくさんいると思う。
まだまだ未熟で、足りないものもたくさんあるけど、
4年2組と出会って人生いい方向に変わったよ!って、
なんなら泰生に出会ってよかったよ!って、
そう言ってもらえるような人間になりたい。
15,000人という満員まで果てしないように感じる道のりだけど、それでもこの15,000人という人の数を幸せにできたらどんなにすごいことか。
この15,000人という人に愛を届けられたらどんな気持ちだろうか。
まずは自分の目標と向き合います。
この達成の先に、武道館があります。
そんなこと言われてもよくわかんないと思うけどこれだけは信じてください。
闇雲に達成!達成!って言葉をクラスメイトのみんなはよく聞くかもしれないけど、達成することで、このみんなとの幸せを作れるなら何だってやります。
何だってできると思う。
だから力貸してください!!とかっていう話じゃなくて、
ある種の意思表示というか、これが僕の4年2組に入ってから変わらない想いです。
今もどこかで幸せに生きてくれてたら嬉しい。
俺という人物は関われないけど、それでもきっと幸せになってくれてると思う。
だから僕は、全神経注いで僕と関わってくれる人を幸せにします。
長々とここまで読んでくれた方、ありがとうございます。きっと諦めて途中で読むのを辞めてしまった方がほとんどだと思うので、まずは本当にありがとう。その上で、またあなたとお会いできることを楽しみにしています。僕はみんなから頂いた愛を、それ以上の愛で返せるように生きていきます。
以上!自分語りでした!
ださいのは百も承知!
みんなが幸せに生きていけますように!
ラブアンドピース!世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!
ありがとうございました!
2023.10.1
4年2組 泰生
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