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能登地震について思う事
表記の内容について、思うことを書いてみます。
個人的な考えでありますので、もしかしたら被災者の方のお気持ちにそぐわない内容かもしれません。
今回の地震に被災された方々に心からお見舞いもうしあげます。
まだ災害復興に尽力されている皆様方に心より敬意を表します。
これから復興に向けて長い道のりが始まります。
で、ここから私の個人的な意見になりますが
元通りにはできない(ならない)と考えています。
何故なら、
能登地方は課題先進地域と自虐する方がおられるように
地方の課題が凝縮された地域です。
もっとも大きな課題は少子高齢化、特にきわめて高い高齢化率です。珠洲市に至っては65歳以上の人口比率が51.4%(全国平均は28.7%)。
そして、海沿いや山間部に点在する集落が多く、人口が分散して居住しています。
「すべてを元通りに」を実施するとインフラの敷設に膨大なコストとそれなりの時間がかかり、復旧したころには、そこに住んでいた人がさらに少なくなってしまっています。
これらのコストはすべて次の世代への負債になってしまいます。
元新潟県知事の米山氏が実はSNSで同様の指摘をしていて、賛否両論(というかどちらかというと否定のほうが多い)という状況です。
この議論を今すべきか??というコメントもあります。
今、この議論を行うことは確かに今を生きることで精いっぱいの被災者の皆様の希望を奪うことになるかもしれません。
私も今年61歳ですので、自分の生きる糧というか生きがいを奪われるようなつらさはある程度理解できるような気がしていますが、もし元通りになったとしても、その先には従来の延長上、もしくはそれ以上の課題を抱え、ますますすたれていく能登地方の未来しかないのではないでしょうか?
元通りきれいになった道路、水道、電気、そして集落、でもそこには誰も住んでいない・・
そんな未来を本当に望んでいるのでしょうか?
自分の大好きな故郷が滅びていくことが本当にそこを愛する人たちの望む未来なのでしょうか?
能登半島は実は明治時代初頭までは全国的に見ても豊かな地域だったようです。理由は北前船です。
蒸気船は一般化するまでは北海道への交易には日本海側が主要航路として使われていました。特に江戸時代は鎖国政策の一環で、船の革新的な構造により造船が禁止されていたこともあり、日本海側が表日本と称されていた時期もあったようです。陸の孤島のような能登半島の港湾が航路によって栄え、最先端の文化が反映していたようです(七尾の和ろうそくが地元の伝統産業として有名ですが、地元でとれる原材料は一つもなくてすべて交易で日本全国から入手していたようです)。
何が言いたいかというと、今は過疎化の進む能登半島にも輝いていた歴史があり、それは様々なパラダイムシフトによって栄枯盛衰が起きたということです。
であれば、これからの未来に向けたパラダイムシフトにそなえた復興、再生をデザインすれば能登は再び輝きを取り戻す可能性があるのではという想いをもっています。
でもそれはきっと従来の延長線上ではありません。
この書き方ものすごく被災された方のお気持ちをさらにさかなでしてしまうかもしれませんが・・
「どうせこのままダメになるんだったら思い切ったことをやってみよう!!」
という考え方で能登の再生を考えてみてはいかがでしょうか?
能登を愛する皆さまの望む未来、それはきっと今まで以上にいろいろな人が能登に集い、居住し、そこでしか得られないわくわくを感じながらwell-beingを感じられる場なのではという気がします(豊かであることは重要ですがこれからの時代はもはや物質的な価値ではないでしょう)
じゃあ、具体的に何をすればよいのか?
それは私も現時点ではわかりませんが。再生のための目指すべき方向はたぶんそちらかと。
現時点でもデジタルとwell-beingは相性が良いことも何となくわかってきています。
安易は復興でなく、これからのワクワクする未来の可能性を広げるような再生を皆で考えていけたらよいなあと思っています。
そんなことを考えていたら丁度こんな記事が・・
まさに今の日本人はこの思考にハマってしまっているように感じます。この考え方で能登半島をこれからを考えてはいけないと強く感じています。
今回とんでもない災厄に襲われた能登半島ですが、
「これが日本の地方再生のきっかけだったよね!!」
20年後に若者が明るく笑いあえるような未来が来ればよいなあと願っております。