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あと、1ヶ月

昼過ぎにのそのそと起きると、誰もいないリビングに、母が用意してくれていた朝ごはんと、柏餅がある。昨日は、子どもの日だった。

そう考えると、うちは、行事があれば、それにちなんだご飯が出てくることが多かった。1月7日付近で、七草粥を食べ、2日2日は、近所のお店で買った、恵方巻き。3月3日付近の夜には、ちらし寿司。5日5日には、スーパーで買った柏餅。季節は少し飛んで、クリスマス。急いで出したクリスマスツリーは、年明けまで、出没している。

「全ての年中行事を!」というわけでもないし、書いた通り、いくらか、あいまいな部分もあるが、それでも、こうやって、昔からの文化に関わる日をお祝いするのは、なんだか、すごく、いい。

3年間の一人暮らし生活やコロナ禍で季節の変わり目に鈍くなってしまったこともあり、忘れかけていた気持ちだった。今日、すこし固くなってしまった柏餅をほおばりながら、そんなことを、思い出した。もし将来、「家族」と呼べる人たちと一緒に暮らすことができたのなら、季節を感じれる日を、ちょっとでも、大切にしよう。

ふと、子どもの日(children's day)を、英語で説明するなら、なんと言うだろうか、と頭に浮かぶ。英語を思い浮かべる前に、私は、急いで、Google大先生に「子どもの日 とは」と、聞いてみる。今後、こうやって、なんとなくの日本文化を、海外の人に伝えることが、増えていくのだろう。

こんなことがすぐ頭をよぎるのは、アメリカに出発するまで、1ヶ月を切ったからだ。

上京して3年間、とにかく猪突猛進だった私にとって、身体を崩す度に、「休学」という2文字は、ある種、ユートピアのように、思えた。

深呼吸をめいっぱいしたい。めちゃくちゃ寝たい。あの本や漫画を読みたい。美味しいスパイスカレーが食べたい・・・。ここには書ききれないほどの小さな野望たちは、スマホのメモのバケットリスト入りを果たした。

それを、つい最近、見返してみた。「あの時は、大分疲れていたんだな」と思いながらも、この休学期間に叶ったものは、静かに、リストから削除した。ここ1ヶ月で、小さなこともあれば、まさか叶うとも思ってなかったことも、色々と、あった。書いてみれば、意外と叶うもんだ。

身体と心の声をじっくりと聞けた、休学1ヶ月目。結局、私は、やっちゃっているのだと思います。「そうした方がいいから」とか、「やりたい」とかじゃなくて。やっちゃってるみたいです。きっと、これからも。

日本での休学期間は、残り半分。6月に日本を出発することだけは決まっていたので、不安と期待は、毎日、私の中に同居していて、気まぐれに、前に出てきたり、ひっこんだりしている。

1ヶ月後、出発直前の私は、何を考えているのだろうか。きっと、実感がないまま、旅立つのだと思う。今年は、大切な友人を数人、海外へと送り出したが、その時も、いつも実感はなかった。始まってる時って、「よし、いくぞ!」というより、気づいたらそちらの方へと流れ着いちゃってる状態を、指すのかもしれない。

まだまだ不安はあるけど、その不安は悪いものではないことを、今の私は知っている。きっと、これからも、めいっぱい息をしていたいからこそ、出てきているのだ。この1ヶ月は、より地に足をつける期間で、ありたい。

最後は、なんか、宣言みたいになっちゃった。あと少しの日本とその間の毎日note、これからも、宜しくお願いします!


いつも、応援、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、6月から約8ヶ月間のアメリカの留学費に全額使い、その体験を、言葉にして、より多くの人に、お返しできたらな、と思っています。