特異を伸ばしたい
過ぎ去った夏を追いかけるかのように、日々歩く距離が延びている。
涼しくなってきた。秋は散歩日和だ。
最近は2時間くらいであれば徒歩移動は全く苦にならない。時間さえあれば渋谷くらいまでなら全然散歩気分で歩いて出掛けられる。
歩き続けるスタミナがついたのには少し心当たりがある。小学校の下校が果てしなく遠かったのだ。
多分片道1時間弱は毎日歩いていた。
※大体3キロくらい。
両親が共働きだったので学校が終わって家に帰っても誰もいない。
団地の鍵っ子という選択肢もあったのだろうが、地区に友達も多かったので祖父母の家に帰るという選択をした。
田舎の学区は果てしなく広いので、学校から遠い子達はスクールバスで通学していた。(中学からはチャリ通に変わる)
学区の最果てエリアがある方向と真逆だったため、スクールバスは私の帰り道の途中で反対側に曲がる。距離は遠くても私の帰り道にはバスは通らなかった。
友人たちといつもバスに追い越されないように早足で帰っていたのを覚えている。当時は楽しんでいたが、今思えば自分たちより家が近い子たちがバスに乗っていることに対してのささやかな抵抗だった。
徒歩での通学距離が一番遠い地区に住んでいるという自負が謎の反骨精神を育んでくれた。
そんな小学生時代を過ごしたこともあり、大体のところは歩いていける能力を身に着けた。大学時代は東大阪~伊勢神宮まで歩いて行ったこともある。
以前池袋で友人と久しぶりにあう機会があり、時間があったので3時間くらい歩いて行ったことがある。
友人と合流し、歩いてきた事を伝えたときに「イカれてる」と言われた。
確かに普通は某駅から池袋まで歩いていこうとすら思わないのかもしれないが、私にとってはどこまで行っても散歩だ。
確かに歩きなれていないとものすごく疲れるのかもしれないが、私からすればマラソンをしている人たちのほうがイカれている。
昔から歩くのは苦ではないが、長距離走は苦手で同じ距離、何なら半分の距離でも走って移動することなど想像もしたくない。
過去の経験からなのか、生まれ持ったものなのかはわからないが、人それぞれ他人から見たときに狂気じみた部分があると思う。
苦痛じゃない。苦痛を感じない。そんな領域。
他人から見たときに狂っている部分。得意ではなく特異な部分がある。
公私ともにすごいなと感じる人たちは得意よりも特異が目立つ人達が多い。人並み以上ではなく、異常に物事に打ち込める、もしくは異常にこだわりがある。
この世の中を強く生きていくためには、特異をのばして異常になる必要があるのかもしれない。
普通に生きていくために、異常でありたい。
※たまたま見つけたこのサムネめっちゃ好き。