愛着

『持っているものが自分を束縛する。』
ファイトクラブという映画に出てくる好きな台詞だ。独り暮らしをして15年以上たつがこのセリフのおかげなのか私の家には物が少ない。
読んで字のごとく消耗品は消耗したと思ったら躊躇いなく捨てるし、同じものを買ったらまだまだ使えると思ってもで捨てるようにしている。

ただ、愛着を持っている物に関してはなかなか捨てられず、新しいものも買わずにボロボロになっても使ってしまう。
清潔感からいっても買い換えた方がいいと思うのだが、『持っている物が自分を束縛する』を見事に体現している。

そろそろ通勤用リュックサックを買い換えたいと思いつつも、使い勝手も良く、趣味の軽登山でも使ったりしているので機能以上に愛着から手放せずに2年くらい経ってしまった。

また、モノではないが、地元に帰るか、東京に残るかという選択が悩みの種である。

少し地元を紹介すると、私は新潟県のど真ん中(と書いてあるガスタンクがあるくらいにはど真ん中)の見附市というところで生まれ育った。

花火で有名な長岡市と洋食器で有名な三条市に挟まれた、これといって特徴のない街それが見附である。

そんな特色のない街で百升をやっている我が家なのだが、田舎あるあるのご多分に漏れず、親からは「いつ地元に帰ってくるのか」という問いかけをうんざりするほど聞かされるし私自身農作業は嫌いじゃないので「帰ってもいいかな」とは思いつつも東京の人間関係やエンタメにも思い入れがあるので、どちらで暮らすかを決めるということから目をそらし続けている。

リモートで働きつつ週末は東京に出るという暮らし方もあるだろうが、それも何か違うんだよなぁという思いがある。極端な性格の私は地元に帰ったら東京は良かったなどと懐古しつつ足を運ばなくなるのが関の山だろう。

逆に東京に残りつつ農業シーズンだけ地元に帰るというのは今のライフスタイルだが、自分が頭で働くとなると現実的ではないのが悩ましい。

最終的に何かを手放す時、それは“愛着”を手放しているのだと思う。

モノにとらわれているのではなく自分自身が作り出した愛着という感情をいかに手放すか。それが物事を先に進める第一歩なのかもしれない。特に地元も東京もいつかは捨てる前提で選んでいないので大変だ。

この戦いは選ぶという行為の時点から発生しているのだろう。地元を選んで生まれてきたわけではないし、東京で働くというのもなんとなくではじめたことだ。(元々大阪で働くつもりだった)

今後は選択段階からちゃんと覚悟を持って選ぶようにしよう、なんとなくからズルズルいってしまうのは良くないのかもしれない。

結論、風俗は後悔のないよう丁寧に指名を選ぶか、フリーで入るのが正解ってこと。

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