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この世界になるまえの私。



前の私は、
人が大好きでした。

週の半分以上は、

誰かとご飯食べたり、飲んだり、遊んだりしていました。

ひとりでいるのも、嫌いではなかったのですが、

大好きな人、会いたい人がたくさんいすぎて、
時間が足りない!という感じでした。

家族とも、友達、先輩後輩とも

あちこち!どこでも行きました!

誕生日には、

主役の喜んでくれそうなお店を一緒懸命探したり、

朝早くから山に登って
山頂でみんなでケーキを食べたり、

夜通し飲んで
ヨレヨレになって、
皆で迎える朝が好きでした。

おもしろすぎて、
楽しすぎて、
笑いすぎて。

涙がでて、腹筋がつりました。

私の母も、花も、わたしも

(家族みんなおもしろいことを誰かしらがするので。)
よく泣くまで笑ってました。

笑いが止まらなくて
息ができないくらい、笑っていたんです

特に、花はいつも、
箸が転んでも笑って、

いちばん先に笑いだして
いちばん最後まで

ずっとずっと、笑ってたんです。

時々、人生が上手くいかないときがあっても、

みんなで、
泣いて笑って、
あかるくたくましく、乗り越えてきたんです。



あの日までは。



あの日、

花が旅立った日、

わたしの心も、
一緒になくなりました。

残ったのは、

抜け殻のような、
かなしみと、痛みと、苦しみしか感じない、

心の残骸らしきものです。

楽しいも、うれしいも、好きなものも、だいすきな人たちも、、、

なにもわからなくなりました。


わたしはきっと、もう、

一生分、笑ったんだろうなあ、
一生分、楽しんだんだろうなあ、

って思ったら、
不思議と腑に落ちました。

それならそれでいい、とも、
思いました。

それくらい、
楽しくしあわせな人生だったから。

あのとき、あそこのお店であれをたべて、ああ言ってこう言って、花は爆笑してたとか

他愛ない想い出を、想うたびに

見えないだけで

この世界のどこかに

花がいてくれる気がして。

温かい幸せの余韻に包まれて。

その後、

花にもう会えない事実に


どうしようもない淋しさに
うちのめされました。

ひとりでは想い出にさえ
向き合うことも出来ずに。


『花会』と称して

花に会いにきてくれたお友達や、家族と一緒に

花の好きそうな店や、

行きたがっていたお店で、

花の好きなものを食べて、、、

その時だけは泣かずに
花の話が、できました。

花会の様子をSNSに載せていたのは、

みんなに心配をかけないためでもありましたが、

これも、アンチの人にお店を調べられ、わざわざいちばん高いメニューの値段を載せたうえで、

使途不明金や、毒親、被害者ビジネス、病気の名前や、わたしの名前のハッシュタグなど付けられ、

あたかも私が、花のグッズの利益で贅沢三昧しているかのようなねつ造をされてしまいました。

執拗に粘着され、
行動のひとつひとつを勝手にねつ造され、
ツイートひとつひとつの揚げ足をとられ、、、

これは正しい批判である、
という名のもとで。

日々追い詰められ、
人間不信になり、

疑心暗鬼になるのに

時間は要りませんでした。


たくさん、温かい言葉ももらっていたと思います、、、

ただ。しっかり受け止めれる状態ではなく、

励ましさえも、
苦しかったです。

地獄でした。


心のほとんどをなくしている状態で、さらに花を悼むことすら、奪われようとしている、、、

許せない、、、
許せない、、、
許せない、、、

一周まわって、火がつきました。
タタリガミになりかけてたと思います。
憎しみしかなかった。

もうなにひとつ奪われない、
ことを、

まず決めて、

いちばん最初にしたこと。

なんだとおもいますか、、、?


【次回に続きます】


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