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4歳児曰く、神様は玄関から来る
毎晩4歳の息子を寝かせる前に、抱っこしてその日のことを話す時間、通称「抱っこ充電」の時間をとっている。
幼稚園のクラスでいちばん大きい息子は立って抱っこするにはちょっと大変になってきて、いつも布団に座って抱っこしながら、動物園に行った日は一番印象に残った動物や、幼稚園でお友達が折り紙を折ってくれたことを教えてくれる。
その日どんなにイライラしたとしてもすべてを帳消しにして、膝の上に息子を乗せて話し、ああ大きくなったなと毎日毎日噛み締める。いい時間だ。
つい先日、そんな抱っこ充電のときに息子がふと、「神様ってなに?」と言いだした。
“神様“という概念は、我が家ではこれまでとくに教えたことはなく、初詣の時や義実家の仏壇の前で、ここでは手を合わせて神様・仏様にご挨拶するんだよ、くらいのものだった。
その時は「なんでそうするの?」と不思議そうにしつつも、当時はまだ3歳で、「神様とは何か」という疑問すら抱かず、ただ単にそういうものかぁという感じで、手を合わせる私や夫のマネをしているようだった。
この夏息子は4歳になり、何にでも疑問を抱く「なんでなんでマン」化が加速した。
なんで昨日はぶどうだったのに、今日の朝ごはんのジュースはりんごなの?
なんでトト(夫のこと)は会社に行って、カカ(私)はお家で仕事するの?
トトは何の電車で会社に行くの?カカは何のお仕事?
なんで今日の幼稚園はお弁当なの?
なんで家に帰ったらお手て洗うの?
なんでバルタン星人の手はカニさんになってるの?
どうして明日は雨なの?この傘はどこで買ったの?…
書き出すとキリがないのだけれど、毎日が息子の疑問との戦いの日々だ。
今は幼稚園が夏休み中で、同じ園内の預かり保育に通っていて(こども園なので)、どうやらそこで先生かお友達から「神様」の存在を耳にしたようだ。
動物園のライオンと違って、目に見えずはっきりした形もなく、でも先生やお友達が確かに存在するものとして話している「神様」というものがどんなものなのかを知りたがった。
唐突に「神様ってなに?」と聞かれてみると、私自身が感じるものにとしての神様という存在は、「誰か」や「何か」といった確かなものではないという気がした。
私の宗教観は日本人的で、何か特定の宗教を信仰しているわけではない。
初詣は神社に行って氏神様に柏手を打つし、義実家や祖父母のお仏壇には手を合わせるし、クリスマスもイベントとして祝う。
高校時代は仏教系の私立高校だったので、授業のはじめと終わりは「起立、合掌、礼」だったし、写経や写仏の授業や、ブッダをいう人物についての来歴を知る機会もあった。
自然やあらゆるものには霊的な存在が宿っているというアニミズム的な意識も多少はあるし、海外映画や美術を学ぶなかで、キリスト教の聖書の内容や、信者の多い宗教がどのようなものを信仰しているかは、僅かながら知識として持っている。
でも、例えば「これを身につけてさえいれば、これさえ信じていれば、幸せになれる」というような壺とか石とか浄水器とか、宇宙の波動がどうのこうのとか、そういうものにはできるだけ触れないようにしたい気持ちもある。ドラマの『TRICK』は大好きだけれども。おっかーさまー。
(宗教なりなんなり、何かを信じている人々を否定しているわけではなく、私は私、あなたはあなたです、という一言を挟んでおきたい。)
悩みながら私は息子に、神様っていうのは、どこにでもいるけどどこにもいなくて、息子やトトやカカのことを近くや遠くでいつも見ていて、叶えてくれるかはわからないけど、お願い事やお話を聞いてくれるもののことだよ、と話した。
息子はそれを聞いて、「神様にね、鼻水治してくださいってお願いするの」と言っていた。
私は、息子がよく食べてよく遊んでよく寝たら、神様がそれを見ていて、治してくれるかもね、と答えた。まぁそれはそう。
「神様はねぇ、お家の玄関から来るんだよ!こんにちはーって」
息子がそう言うので、後光輝く謎のシルエットが、我が家のドアを「こんにちはー」と開けて息子の鼻水を治しに来るのを想像して、思わず笑った。
いい子にしてたら来るかもねと返したけれど、それはサンタさんか…?
寝かしつけながらしばらく、玄関から入ってくる光の塊のようなもののイメージが頭から離れなかった。
息子もこれからだんだん大きくなって、息子なりの「神様」を組み立てていくのだろう。
お腹を壊してトイレに篭るとき、息子もかたちのない神様にやたらと許しを乞うたりするのだろうか。
神様との距離感を、自分なりにうまく築いていってくれたらいいなと思う。
翌日、神様が来るならと玄関のたたきを掃除した。
息子の鼻水は、よく食べてよく遊んでよく寝ているうちに、いつの間にか治った。