私の倫理の物語
平和を作りたい、と思う。
自分の仕事や日々の営みを通して、今いる場の平和でも、もっと長く続きうる平和でも。
4年前に「エシカルSTORY」(倫理の物語)というメディアを始めた。「エシカル」という言葉は、いまだに耳慣れないと思うが、ふだん「エシカル、サステナビリティ、SDGsは同じような意味です。環境や人権を守ることです」と説明している。
これ自体は社会的な説明として多分まちがっていない。が、取材や執筆依頼など、協力してくれる人たちと仕事を進めるうちに大きなちがいを感じるようになった。「エシカル」はボトムアップで、市民、生活者、一人ひとりの人間から始まる。「サステナビリティ」や「SDGs」はトップダウンで、大きな組織から下りてくる。そうなっていることが多い。
起業する時、僕は直感的に「エシカル」という言葉を選んだ。それは「エシカル消費」という生活者の目線に共感しただけでなく、「エシカル(倫理)」という言葉そのものが好きだったからだ。それまで20年近く、哲学を学び続け、はじめは独学だったが、やがて大学で学び、大学を離れて本を出版する幸運に恵まれた。そういう在野だったから、自分の生き方を意識し、スジを通すこと、自分の生き方を律することを「倫理」だと考えていた。「倫理」は哲学の用語でもある。
倫理は、個の力を信じるところから始まる。一人の思い、信念、考え、直感、行動。ただし、その結果はわからない。正解や答えもわからない。それでも自分の道を行く。
しかし、そうして自分の道を行くことが、けっして独善的になったり、我を張ったり、ヒロイズムに酔ったりすることにならないように。いろんな人の力、支え、自然や時の運があって今、生きている。自分一人では生きられない。その強い自覚と、個の力を信じる(自分も他人も)ことは両立する。
そういうことに最近やっと気づけた。
迷ったり、つまづいたり、ひとに助けられたり、出会っては別れたりしながらも自分の道を歩むこと。その道の先になんらかの平和を作り続ける。青い地球や豊かな日本語を守れるよう、できるかぎりのことをする。
この思いをあらためてエシカルSTORYの根幹に据えようと決意する。
2024年10月20日 木村洋平