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『笑いの哲学』ができるまで(2)冷蔵庫にテレビのリモコンを入れてしまった学生の話

『笑いの哲学』というタイトルの本が出版されました。私、木村覚(きむら・さとる)の新刊です。より多くの方に興味を持ってもらい、より多くの方に手にとってもらいたいという一念で、本書ができるまでの顛末を10回くらいの連続エッセイで紹介していきます。

本書の第一章に、ちょっと面白いエピソードを取り上げています。ある学生が、寝ぼけ眼で、冷蔵庫にテレビのリモコンを仕舞ってしまった、という逸話です。

これは、実際に私が聞いた、嘘みたいな本当のお話です。

数年前、ある国立大学に非常勤講師として週に一回通っていたときのことでした。教育系の勤務先に進む学生が多い学部で、僕が何かのきっかけでRCサクセションの楽曲「僕の好きな先生」の話をしたら爆笑されたのを覚えています。どうも、「ああ、またかよ!」と、彼らには聞き飽きたキーワードを口にしてしまったようです。先週も誰か非常勤の先生からその曲の名が出た、と。あの歌は、先生が嫌いな生徒が先生の嫌いな先生を慕う内容なので、すくすくと無垢な気持ちで生徒に人気の先生になろうかな、などと思っている学生にとって、説明すればするほどそれだけ嫌味になる歌でもあるので、そう考えると、あの笑いは拒絶の笑いだったのかもしれません。

人懐っこいけど、まだ高校生みたいだなと思わせもする素朴な学生たちに、少し戸惑いながら講義をしていました。そんななかでした。優越の笑いについて話題にした回の後、レポートの提出ついでに、女子学生が「私、自分のことがよくわからないので、先生、私を解釈してください」と言って、教卓の前の私のところにあらわれたのです。

そして、彼女はこの話を始めたのです。朝、寝ぼけて、気がついたら冷蔵庫にテレビのリモコンを仕舞っていた、という先のエピソード。しかし、彼女が「よくわからない」と口にしたは、その後の彼女の行動に向けてでした。その後、彼女は妹にメールして、自分がこんなへまをしたとわざわざ報告したというのです。

もしこの出来事の周囲にあらわれるのが優越の笑いの類であるならば、人は笑われたくないはずです(本書では、ホッブズの笑い論という古典を引き合いに出してそれを論じています)。そうであるなら、賢明なのは、このヘマを誰にも言わず、黙っていることでしょう。講義の内容をよく理解してくれていたからこそ、だからこそ、妹に自分のヘマをなぜわざわざ告白したのか、そうした自分がわからない、と彼女は悩み、私の前にあらわれたのです。

この告白が、第一章の後半で展開される180度の議論の反転を引き出してくれました。笑われたくないはずの私たちが、でも、あるときにはいっそ笑われたいと思う、それはなぜなのか?このポイントに行き着いて、議論がググッと広がらなければ、第一章はありふれたものになっており、つまりただの優越の笑い批判(「優越の笑いで笑ってはいけない」という結論)に留まっていたことでしょう。

こうした発見があるので、学生にとって以上に教員にとって講義はとても有意義な場です。講義内容や課題に工夫を凝らして、新しい発見に繋がる質問とかコメントとかに出会えないかなあと期待しながら、日々講義をしている次第です。





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