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『笑いの哲学』ができるまで(6)苦労した日本のユーモリスト探し
『笑いの哲学』という本が出ました。笑いを考察した本です。「哲学」と付いているので、とっつきにくい真面目な本と思われるかもしれませんが、スギちゃんやオードリー春日俊明のことなど、お笑い芸人のこともたくさん書いています。第三章のスギちゃんや春日を取り上げているところで論じているのは、彼らはユーモリスト(ユーモアを社会に振りまく人)なのかどうか、という問いでした。
第三章「ユーモアの笑い」の大きな議題は、日本社会に果たしてユーモリストは存在しているのか?ということでした。そもそも「ユーモア」とは何か?これは本書をお読みになってくだされば、丁寧に説明しております。簡単に言えば、ユーモアは遊びの要素の濃い、そして「掟」に抗する笑いです。「掟」とは社会通念に照らして従わなければならないと思い込まされているルールや物の考えのことです。それがあると社会は保守されますが、それに囚われ過ぎると社会は硬直します。ユーモリストは、この硬直した社会をゆるめる力を持った人です。必ずしも、お笑い芸人がそれに適しているとは限りません。
日本社会にいつどこにユーモリストはいたのか?例えば、1960年代の植木等はどうだろうか?だって、こんなこと歌っています。
ぜにのないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう
(植木等「だまって俺について来い」1964年)
当時、彼が演じた「無責任」も「掟」に抗う振る舞いです。でも違うかな、と思ったのは、彼が演じた無責任男は実は、いまのNews Picksビジネスマンみたいに、旧来型の働き方をしていないだけで、別ルートで賢明に働いており、ぜんぜん「無責任」ではないのです。それと、この時期というのは、東京オリンピックの時代、日本は高度経済成長に乗って、ぐいぐい進んでいた、黙っていても、「C調」でも幸福になれた。社会の波に乗って、ユーモア的な振る舞いが輝いていた、という印象があったのです。
もう一人の候補は勝新太郎でした。『兵隊やくざ』(1965年)という映画があります。極寒の満洲の地で、戦地に向かうべく準備を重ねる関東軍の兵隊を勝が演じているのですが、冒頭、理不尽なビンタを受ける際に、どんなに叩かれてもけろっとしていて、むしろ叩いた方が手を痛める始末。
こうした勝扮する「大宮」の破天荒さもユーモリスト的だなと思わされるのですが、やはり座頭市シリーズが気になります。『座頭市物語』(1962年)で、市は会いに行った組長を待つ間、その組で賭博をするんですね。目の見えない市を、組員は騙そうとしますが、そうした策略を見破って、市はまんまとやり込めます。
この市はユーモリストだなあと思っていたのですが、最終的に、そのように言及することをやめてしまいました。そもそも勝新太郎という役者自体、実にユニークで、大麻をパンツの下に隠していたとされる事件や、遊びが過ぎて激怒する妻に、その気持ちを演技に活かせなどと口にしたとされるエピソードなどは、またユーモラスです。ただ、純粋な役者バカな生き様は、ユーモリストという枠に収めることもできないな、とも思わされました。
ビートたけしも、候補の一人でした。とくに『その男、凶暴につき』(1989年)で演じた刑事の生き様は、「掟」を抗うユーモリスト、という印象を強く持っています。ただ、彼もまたユーモリストという枠に収めるには、活動や言動が多彩すぎて、簡単に取り上げられないと断念しました。
ところで、このようなユーモリスト探しで苦労をしている最中、編集者のHさんがぽろっと、
ユーモアって、池乃めだかの「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」みたいなことですよね。
と一言そう口にされて、そうか、なるほど、、、と絶句してしまいました。喧嘩が始まり、ボコボコにされた挙句に、発せられる「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」のような言動こそ、うん、確かにユーモラスですよね。