確率微分方程式論で何が学べるか
はじめに
確率微分方程式という数学の分野があります。これは簡単に言えば微分方程式に確率的に変動する項を加えた方程式です。よく引き合いに出されるのがアインシュタインがその定式化に大きく関与したと言われているブラウン運動です。煙といった分子と比べて相対的に大きい粒子が水や空気分子から衝突されることによって不規則に動く現象で顕微鏡などでも観察可能だと言われています(私は動画以外で見たことはありませんが…)。
私は学部時代素粒子の研究室に所属していましたが、そこでもわずかな揺らぎの影響を取り入れるため確率微分方程式を用いて解析を行っていました。現在は専攻を変更し、機械学習の視点から品種改良の研究をやっていますが、ここでも確率微分方程式が絡んできています。そんなわけで私と確率微分方程式はなんだかんだ関わりが深く、機械学習などか広まりを見せる今、様々な人にとっても切っても切れない存在になりつつあるのだと思っています。一方、この方程式の勉強をしようと確率微分方程式論の本を手に取るとその難解さに途方に暮れてしまうのも確かだと思います。
私はある分野を勉強する際、それに関連する本をいくつか流し読みし、それを勉強するとどんなことが学べるのかといった全体像を把握するようにしていますが、確率微分方程式論についてもようやくその全体像が掴めた気がするのでここに記録しようと思います。
確率論(測度論)
どの本でもまずはじめに出てくるのが確率論の復習ページです。確率論は高校で習うわけですが厳密にこの確率を議論することは実は難しく、大学では測度論という分野の中で再定義されます。確率微分方程式もこの測度論に立脚して定義されるため、ちゃんと理解するには測度論を勉強する必要があるわけですが、確率微分方程式論の本の復習ページでどちらをとりあげるか、すなわち高校の確率なのか、測度論なのかは本の難しさに依存します。当然、本の後半の内容の難易度も、復習ページの難易度と比例するので、あまり厳密な議論に興味がない場合は、前者が書かれた本を選ぶことをお勧めします。
確率過程
次に出てくるのが確率過程の話です。そもそも確率微分方程式とは確率過程を求めるための微分方程式なので、確率微分方程式の話に入る前にこれについて取り上げるのは当然の流れとなります。この確率過程とは、確率的に時間変化する値、つまり時間とともにランダムに値が変化するモデルです。例えばコイントスででた表の数の総和を記録すると、その数は試行回数(時間)とともにランダムに変化しますがこれも確率過程の一つです。時間が連続である場合と離散である場合の2種類に大きく分けることができますが、確率微分方程式は時間が連続な確率過程を取り上げることが多いため、基本的にはそのような確率過程が取り上げられます。いかに添付した写真は学部の研究を始めるにあたってお試しで書いたブラウン運動ですが、これは時間が連続な確率過程に当たります。
なお、確率過程はそれ自体で多くの本が書かれています。先に進んでよくわからない場合は、こういった本の理解を深めるとよいかもしれません。
確率微分方程式
さて、ここまでくれば確率微分方程式の定義が可能です。実は確率微分方程式は微分と名前につくものの、微分方程式ではなく積分方程式です。理由は簡単で、微分を行うには対象の関数がそれなりに滑らかでないといけないわけですが、確率過程のようにギザギザとした曲線は連続ではあるものの微分ができるほど滑らかではないからです。
一般的には「はじめに」で取り上げたブラウン運動の記述を通してこの確率微分方程式を導出するのですが、その中で"確率積分"という概念が現れます。通常積分は∫f(t)dtのように、被積分関数の変数tの微小量tで積分を行うわけですが、確率積分ではこの微小量が確率変数に代わります。ここでは確率積分について詳しく述べることはしませんが、そのような新しい概念の積分んがここで現れるため、その定義に多くの紙面が割かれます。
伊藤型積分とStratonovich型積分
上にあげた確率積分についてもう少し深く見ていきます。積分では通常、積分区間をより細かく分割しながら近似を行います。基本的にどのように分割するかは積分値に影響をしませんが、そうでないのが確率積分です(少し不正確表現をしていますがご了承ください)。そしてどのように分割を行っていくかによって伊藤型とStratonovich(ストラトノヴィッチ)型に分けられます。ちなみにこの伊藤型の"伊藤"とは数学者伊藤清のことで、確率の分野では大変な有名人です。伊藤清三という方もいるのですが、ご兄弟の関係らしいです。
伊藤の公式
ここまでで、確率微分方程式の定式化が完了したわけですが、たいていこのタイミングで、この確率微分方程式を解くうえで非常に重要な伊藤の公式が出てきます。
一般的な微分方程式では、解を求める際に一度別の関数に変数変換をすることがあります。こうすることによって方程式が既知の形に変形され、より簡単に解くことが可能になります。このような変数変換を確率過程にした場合、その確率微分方程式がどのように変化するかを示したのが、この伊藤の公式です。伊藤の補題と呼ばれることもあります。
ところでいままで確率微分方程式を解く、といったとき、それはその微分方程式を満たす確率過程の一般形を求めるという意味でした。一方、確率過程は毎回毎回違う道をたどりますし、全体的な動きを把握するという意味ではあまり相応しくありません。むしろその確率変数が従うような確率密度関数の時間発展などを調べた方が便利なときがあります。それを求めたいわけですが、そのためには確率過程の中でも特に重要なマルコフ過程と呼ばれる確率過程が必要となってきます。
マルコフ過程
このマルコフ過程は、具体的な確率過程ではなく、ある性質を満たす確率過程のことを指します。それは、前回の確率がひとつ前の状態のみによって決定されるという性質です。例えば天気は前日の天気に大きく左右されると考えられます。前の日が曇りや雨であれば次の日に雨である確率は高くなりますが晴れならばその確率は低くなります(たぶん)。一方、それより前の日の天気にはあまり関係しないでしょう。このようにマルコフ過程は日常の様々なところに顔を出す身近な確率過程といえるでしょう。
時間が離散的である場合、このマルコフ過程の定義は簡単ですが、連続となると話は少し違ってきます。なぜなら"ひとつ前"が定義できないからです。例えば5.5秒のひとつ前の時間として5.49999秒を取り上げたとしても、5.5秒と5.49999秒の間に5.499999秒があり、とさらにその前に…と永遠に続いてしまいます。これを厳密に定義するには測度論のフィルトレーションという概念が必要になってきますが、これを取り上げるかはまさに一番最初の確率の復習がどれだけ詳しく載っているかによってきます。
フォッカープランク方程式
さて、上記のマルコフ過程の著しい性質として、その確率変数が従う確率密度関数の時間発展を記述することができるという点が挙げられます。それはチャップマンコルモゴロフ方程式という方程式を解くことによって得られるわけですが、実は確率微分方程式の解もマルコフ過程であるということが知られているため、この確率微分方程式においてもその確率密度関数の時間発展を調べることが可能なのです!それをダイレクトに可能にするのがフォッカープランク方程式、物理ではよく前を聞く方程式ですね。面白いことに、ある確率微分方程式をフォッカープランク方程式に基づいて解いていくと物理の拡散方程式なんかが現れたりもします。ここまで来るとそういうつながりが見えてきたりします
最後に
確率微分方程式は微分方程式論に加え、測度論、Lebesgue積分などを伴う非常に難解な数学です。積分方程式の話をしていたかと思いきやいきなりマルコフ過程の話が始まる、など教科書を頭から読んでいると迷子になりがちな分野かと思います。一方、最後には微小な動きを記述する確率微分方程式とマクロな挙動を記述する偏微分方程式とのつながりが見えたりする非常に美しい分野でもあります。今回のまとめがその勉強の一助になれば幸いです
なお、私も学習中の身のため、多くの間違いがあると思います。ご指摘いただけますと幸いです
追加: マルチンゲール
いまいち私自身の理解が進んでいなかったので省いてしまいましたが、確率微分方程式論の本を読むと必ずマルチンゲールという話が出てきます。確率微分方程式の確率積分にはよくWinner過程と呼ばれる確率過程が使われますが、これは独立増分と呼ばれる性質を持ちます。この性質をもう少し一般化したのがマルチンゲール性で、"公正なかけ"を保証する話でよく出てきます。実は確率微分方程式の確率積分はWinner過程よりもう少し緩い条件のマルチンゲール性をもつ確率過程でも定義することができることが知られています。これがマルチンゲールの話が出てくる理由です。しかし、マルチンゲールを連続的な確率過程に対して定義するのは難しく、マルコフ性を同じくフィルトレーションの理解が必要になってきます。
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