祖父

【本】祖父たちの思い出と和合の時



私は、母方の祖父に、愛情を注いでもらった記憶がいっぱいだ。祖父は、大正の生まれで、私の幼い時分は、出版社の経理の仕事をしていた。

祖父にとって私は初孫だったからだろう、祖父と共に共有した時間の密度は、孫の中では私が最も多い。祖父は、英語はもちろん、ロシア語にも堪能だった。戦争体験を通じて取得することになったのだ。

祖父から戦争について体験的なこと、教訓的なことは一切聞いたことがない。話したくなかったことが多かったのだと思う。復員後に、キリスト教に入信するかどうかを真剣に悩んだことだけを、母や叔母から聞いている。


祖父の父親の兄(祖父の叔父)が、ヨーロッパに遊学したらしい。明治初めのヨーロッパ留学は、現在の留学とは意味が違う。例えば、夏目漱石は、ヨーロッパ留学で神経衰弱になった。明治初めのヨーロッパ留学組は、いまの私たちでは、想像のつかない、秘めたみじめさを抱えているものだ。祖父の父親の兄は、帰国後、人生設計がくるってしまったという。


祖父にとってのキリスト教。そして、祖父の父親の兄にとってのヨーロッパ。私は、この点に、近代に生きた日本人の課題を見出す。そもそも、近代日本とは、とりもなおさず、キリスト教との対峙の期間であったと言っていい。

かつて、『日本のアウトサイダー』

を著した河上徹太郎氏は

「ざっと見渡しても、明治の文学者・社会運動家その他文化界一般の代表者の殆ど全部が、一度はキリスト教の門をくぐってあることは、私の今までの列伝を見ても明らかである。」

と述べた。

文芸批評家・新保祐司氏は、『日本の正統』

でこれに付言して、

「キリスト教、あるいはキリスト教とのぶつかりは、近代日本の軸なのである。」

と捉えている。


私が営業を応援している和器出版 http://wakishp.com/

は、2017年に
『神道から観たヘブライ研究三部書―言霊学事始』

を刊行した。

「神道の歴史と原理によって、世界のユダヤ問題を解決し、近代科学文明の上に天津日嗣の高御座を神代ながらに確立する運動」であった第三文明会を主宰した小笠原孝次氏の刺激的な論考が収められている。親猶でも、反猶でもない立場からの文明についての哲学的思考は、国学古代オリエント学のかけはしとなるという壮大な意図を担っていると言ってもいい。

例えば、大祓祝詞の内容が、聖書の律法の内容と照合することで、初めてその内容が明解になることが説かれている。大祓祝詞 

聖書

は、併読し、比較し読むことで、初めてその意味がわかるようだ。

大祓の罪には天津罪と国津罪とがある。天津罪とは天上界の罪であって、形而上の学問上の錯誤のことである。これに対して国津罪とは形而下の関係が犯す罪である。しかるこの関係が犯す罪に関してヱホバ神がモーゼとアロンを通じてイスラエルの民を戒めた個条が聖書に記されてある。


(一)ヱホバ、モーセとアロンに告げて言いたまはく、人その身の皮に腫あるひはできものあるひは光る処あらんに、もしこれがその身の皮にあること癩病の患処のごとくならば、その人を祭司アロンまたは祭司たるアロンの子等に携へいたるべし、 また祭司は肉の皮のその患処を見るべし、その患処の毛、もし白くなり、且その患処身の皮よりも深く見えなば是癩病の患処なり、祭司これを見て汚れたる者となすべし、若しその身の皮の光る処白くありて皮よりも深く見えず、又其毛も白くならずば、祭司その患処ある人を七日の間禁鎖め置き第七日に祭司またこれを見るべし.….…祭司これを観てその皮の腫白くして、その毛も白くなり、旦その腫にただれの見ゆるあらば、是旧き癩病の其の身の皮にあるなれば祭司これを汚れたる者となすべし (利未記一三章)

(二)凡そ汝の歴代の子孫の中身に疵ある者は進みよりてその神ヱホバの食物を捧ぐることを為すべからず……すなはち○者○者および鼻のかけたる者、或余れるところ身にある者、脚の折たる者、○○者、侏儒、目に霊膜ある者、 ○ある者、○ある者、外腎の壊れたる者は進みよるべからず(利未記二一章)

(三) 汝等凡てその骨肉の親に近づきて之と淫する勿れ、我はヱホバなり、汝の母と淫する勿れ、是汝の父を辱しむればなり、彼は汝の母なれば汝これと淫する勿れ(利未記一八章)

(四)汝獣畜上と交合して之によりて己が身を汚かすこと勿れ、また女たる者は獣畜の前に立ちて之と接する勿れ、是憎むべき事なり(利未記一八章)

男子もし獣畜と交合しなばかならず謀さるべし、汝等またその獣畜を殺すべし、婦人もし獣畜に近づきてこれと交らばその婦人と獣畜を殺すべし、 是等はともに必ず殺さるべし、その血は自己に帰せん(利未記二〇章)

(五)汝等憑鬼者をたのむなかれ、ト筮師に問ふことを為して之に身を汚さるる勿れ、我は汝等の神工ホバなり(利未記一九章)

憑鬼者またはト筮師を恃みてこれに従ふ人あらば我わが面をその人にむけ之をその民の中に絶つべし(利未記二〇章)

汝等の中間にその男子女子をして火の中を通らしむる者あるべからず、またト筮する者邪法を行ふ者、禁厭する者魔術を使ふ者、法印を結ぶ者、憑鬼する者、巫覡の業をなす者、死人にとふことをする者あるべからず、凡て是等のことを為す者はヱホバこれを憎みたまう(申命記一八章)

そこでこの大祓祝詞の内容と聖書の律法の内容を比較してみよう。まことに一読にして明瞭である。この両者は全く同一のものである。何人もこの同一を否定することは出来ない。

聖書の(一)の罪は、大祓祝詞の「白人の罪」に当る。

聖書の(二)の罪は大祓祝詞の「胡久美」の罪に当る。

聖書の(三)の罪は大祓祝詞の「己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪」に当る。

聖書の(四)の罪は大祓祝詞の「畜犯せる罪」に当る。

聖書の(五)の罪は大祓祝詞の「まじものせる罪」に当る。

今年も6月30日「夏越の祓」が近いが、以上のことを知ると大変興味深い。そして、本書の圧巻は以下のような記述にある。

★「神の小羊イエス,キリストを殺した最大の悪人として描かれているイスカリオテのユダの魂が救われた時が宗教的表象信仰としてではない、本当の救世主が実際に再臨する時である。」

★「このヘブライ研究会という舞台に投々が集結する目的は、高天原と黄泉国を分担する者が互に対立抗争する為ではない。お互いが胸襟を開き肝胆を吐露し合って理解和合するためである。」

★「高天原に於いても黄泉国に於いてもそれぞれの主宰神霊は既に和合の時が来たことを承知している。」

私は、本書のおかげで、最終的な世紀末の世相を見ながらも、和合の時の到来を感じ取ることができた。そして、祖父が対峙したキリスト教、祖父の父親の兄が対峙したヨーロッパを止揚する手がかりを得られた。

ゴールは見えている。まだまだこれからだ。

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