聖書は我に

【本】『聖書は我にかく語りき』メモ

対馬栄逸氏の著『聖書は我にかく語りき』より「聖書と日本と日本人」を紹介します。

0●失われた十支族の本隊も、十二使徒の多くを含む原始キリスト教徒たちも、イザヤ書の預言が成就されるために「東の海の島々」、つまり日本にたどりつき、神の手に守られながら、その末裔は現在まで生き続けているのではないかー。

1●近年の調査や科学的な研究によって、イスラエル十二支族の遺伝子は、ハプロタイプ(男性だけが持つ染色体の遺伝子) =ハプログループのDまたはEであるとする説が広まっています。
この二つのハプログループ型だけが持つ特有のYAP遺伝子の存在が遂に失われた十支族の行方を探し出したようです。 D型もE型も、世界の人口比では、非常に数が少ない存在なのです。E型はユダヤ人の中に多く見られ、D型が最も多く出現している人種が日本人です。調査の結果、日本人男性の30 %から40 %がD型を持っているとされています。日本人以外では、チベット人やアンダマン島の住人とか、他にはアジアの少数民族がD型を持っていることが分かっています。

2●ハプロタイプDとハプロ夕イブEの遺伝子を多く持つ民族つまりユダヤ人と日本人は、アブラハムの子孫の可能性が極めて高いと思われます。それはつまり、聖書の預言を信じるならば、両者は手を取り合って、アブラハムの祝福を実現しなければならない、ということになります。なぜなら、現在の地球から火で焼かれて誕生する新しい地球である、福千年は、アブラハムの子孫がリーダーシップを取ることによって実現するからなのです。ヨハネの黙示録7章の中では、十四万四千人のイスラエルの全部族の集合の様子が描かれています。

3●もしかすれば、こうしてイエスの直接の子孫を意味する天孫族から、原始キリスト教の信者たちまでを含めて、全員がやがて天孫族と呼ばれるようになって、一緒に神に導かれて、エルサレムが滅亡する前に脱出し、シルクロードを経由して、イザヤがその存在を預言した、東の海の島々を目指したのかもしれない……日本に正統なイスラエルの民であることを証明する、ハプロ夕イプDの遺伝子が日本人に多く存在していることは、神の計画の一環であり、エルサレムから最も遠く離れた、イスラエルの十二支族の民を隠すのに用意された地こそが、イザヤの預言した東の海の島々である日本に違いない… 聖書を信じる私の想像はこうしてどんどん広がっていくのですが、その真偽はさておき、もし私の聖書の解釈が正しければ、私たち日本人は非常に大きな責任を背負っているとも 言えるのです。

4●なぜなら、現在、ユダ王国の末裔、ユダヤ人たちは、信仰の異なる人々に囲まれていて自分たちを守るのに精一杯な状態であり、日本人が自分たちの役割に目覚めて立ち上がらない限りは、アブラハムの受けた神の祝福は実現しないからです。

5●日本列島に一万年以上も平和な社会を築いていたという縄文人は、いったいどこからやって来たのでしょうか?
この疑問に対して、多くの人を納得させる仮説はまだ出されていない、と私は考えていますが、いくつかの科学的に証明された不思議な事実を元に、想像と推察を展開していくと、なかなか興味深い縄文人像が見えてきます。

6●科学的に証明された不思議な事実のひとつは、遺伝子の分析です。
典型的な縄文人の系譜ではないかと言われているアイヌの人々や、沖縄の一部の人々の間には、ㄚ染色体遺伝子の「ハプロタイブD」が非常に多いというのです。ハプロタイプDの人口が世界でいちばん多いとされる日本人の中でも、突出してハプロタイプDを持つ人が多くいる地域らしいのです。古代日本の物部氏、秦氏系の人々の中にも、この遺伝子の型が多く見つかっていると指摘する研究者もいます。

7●「竹内文書」ー 多くの研究者から偽書とされている書物として知られていますが、私自身も、長い間この「竹内文書」の信憑性については疑問視してきました。ただ、血統や遺伝子の流れについて考えてみると、どうしても「竹内文書」の世界にいきあたってしまうことも確かです。

8●「竹内文書」は、縄文人は世界中を旅しており、その中の一人がアブラハムの祖先になった、と伝えています。この内容をふまえると、アジア系イスラエル人に多いとされる「ハプロタイプDやEに共通のYAP遺伝子」を持つ日本人がなぜ多いのか、という大きな謎を解く道筋も開けてくるのです。
つまり、縄文人と一致する遺伝子を持つ物部氏や秦氏は、縄文人の子孫であったのだという仮説が成り立つのです。彼らがイスラエルの神に導かれて日本にやって来たのは、自分たちの先祖の土地に戻って来たということーそのように考えることもできます。

【七沢賢治氏による特別寄稿】


・本来聖書はリインカネーションを否定する立場であり、名だたる聖書の研究家ですら敢えてその世界に気づいていないとすらいえる。

・エホバと並び唯一絶対神と崇められるエロヒムは、神を示すエルの複数形であり、したがって、旧約聖書における創造主も、本来は絶対なる一者ではなく、むしろ多神教的であったと見る方が自然ではなかろうか。

・一神教の世界において、唯一絶対の神はエホバと呼ばれるが、通常それはYHWHと表現される。そこから何がわかるかというと、母音がないということである。言霊学では、YHWHなどを父韻、AIUEOを母音と表現するが、この母と父が交わって、たとえば「YA(や)」のような子音が生まれるとされる。そのような観点で改めてYHWHを見ると、まさにそれは「天にまします我らの父」として父韻だけの存在になっている。それにより神を何時でも呼べなくなった。

・言霊学の世界では、神の光とは惑星の光であり、太陽系の惑星がすなわち父韻であるとされる。つまり一神教では、天の父だけが神だというわけである。それをシュタイナーは母音に変えてしまった。惑星の周波数を母音と勘違いしてしまったのである。だから本当の神の姿がわからなくなってしまった。神智学が人智学に変わってしまったのには、そんな理由がある。地球の周波数は実は母音のそれであることに気づかなかったのである。

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