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【まったり骨董日記_vol.33】『民藝の100年』〜古くて新しい美の思想に触れてきた

先月末、東京国立近代美術館の特別展『柳宗悦没後60周年記念 民藝の100年』へ。
開催期間が長かったので(2021年10月26日〜2022年2月13日)、もう、そうんなに混んでいないのでは?と甘く見積もっていたらとんでもない!
平日にもかかわらず、かなりの盛況ぶりでした。「まん防」発動の直前ということもあったかもしれませんが、さすがは「民藝」。その人気は健在です。

私たちのお目当ては主に、柳宗悦や浅川伯教らがコレクションした李朝陶磁器でしたが、『民藝の100年』と銘打つだけに、展示の充実ぶりは圧倒的。
民藝の礎となった時代背景にまつわるアレコレから、民藝運動によって生まれた新たなプロダクトや流通・出版までを多角的に網羅するものとなっていました。

例えば、柳らが日本各地へと「美しい手仕事」を探しに出かけた背景には、ちょうど当時、全国に広がっていった鉄道網や観光ブームがあったこと。
全国の美しいモノたちを蒐集し、展示するだけではなく、バイヤーとして買い付け、実際に流通・販売までを担うことで「民藝」を一つの産業として成立させていたこと。

「アート」や「芸術」への憧れが強いばかりに、かえってそれらを自分の生活や経済活動とは別次元の高尚なモノとして考えがちな私の目を覚まさせてくれる情報が盛りだくさん。

「民藝」が日本にとっていかに重要な「美の転換点」であり、既存の枠組みを超えた大きな「思想」であったのかを、まるで立体曼荼羅のように浮かび上がらせてくれる濃密な特別展でした。

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↑柳宗悦の書斎を再現した一角。ここだけ撮影OKでした。
どっしり風格ある拭漆机は黒田辰秋氏の作品。座り心地のよさそうな椅子はアメリカのアンティークだそう。私も欲しい。。。

それにしても、1925年に「民藝」という概念が打ち出されてから約100年、なんですね。子供の頃の私にとって「100年」は、ほぼ「永遠」にも等しくて気の遠くなるほどの長い時間!だったのですが、半世紀を生きた今となっては、長いようで短く、短いようで長い、不思議なスケールとして感じられます。

同じく、昨今のクラフトブームや「#ていねいな暮らし」はもちろん、ユニバーサルデザインやデザイン家電などのなかにも脈々と受け継がれている「民藝」は、廃れていくどころか現代のSDGs的発想にもマッチしており、古いようで新しく、新しいようで古い、魅力的な思想だと思えるのです。

骨董・古美術においても「100年」は、一つの区切りとなる期間のようで、欧米では「アンティーク」と呼べるのは「100年以上を経過したモノ」と規定されています。
日本の古美術では少し考え方が異なっていて、100年程度ではまだまだ「若い品」なのだそうですが、モノゴトが時間の篩(ふるい)にかけられて一つの価値を身につけるのに、100年という単位は何かちょうどいいスパンなのかもしれませんね。

ところで、日頃から日本の骨董・古美術に慣れ親しんでいる我が夫。
100年とは言わないまでも、「“良いモノ”とはすなわち“長く使えるモノ”」と信じて疑いません。
なので、それなりの金額なのに5〜10年も経てばたいてい寿命を迎えてしまう、パソコンやスマホにお金を出すのが、どうにもこうにも納得いかない様子。

「民藝の、どこがすごいと思う?」と問えば、「それまで日用品と思われてきた品々に新しい美的価値を見出したところ」と答えるわりに、自身は現代の生活ツールに新たな価値を見出せていないのでしょうか。

夫が使っている十数年モノのMacBook Airは私のお古で、すでに昨年にはOSサポート期間が終了しており、現在、ウェブサイトの閲覧にも不具合が生じているのですが、夫はそれでもなおしつこく使い続けており、さらには私に「そろそろパソコン、買い替えたら?」と勧めてくる始末。
そう、出費は私にさせておき、自分は再びお古をゲットしようと狙っているのです。

「自分で使うなら、自分で買えば?」と私が言うと、それは無視して古美術品をなでまわし「この器なんか、一度買ったら死ぬまで使えるんだよ。すごくない?」と、一人でおトク感に浸ってしばしの現実逃避。
そして、ほとぼりが冷めた頃にまた私に「パソコン、買い替えたら?」と、まあ粘り強いこと餅のごとし。

一度くらいなら良しとしても、寿命短いパソコンのこと。これから先、また同じことが数年おきに繰り返されてしまうのでしょうか。。。
100年は保たなくてもいい、せめて30年くらいは悠々と使えるMacBookを開発してほしい!
私からAppleさんへの切なる要望です。


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